私家版の歌集について考えるときに考えていること-5
制作部数と売れ行きについて。
販売開始してからもしばらく悩んでいること。
今回は100冊作成した。
イメージとしては文フリで20冊、BOOTHで50冊、私家版を置いていただける書店で20冊、献本などで10冊という配分のイメージだった。
初めてでもあり販売できるイメージはこれが限界。
たくさん作りすぎて、残ってしまったら残念だし、少ない部数だと原価が高くなりすぎてしまいそうなので、販売できるイメージを元に作成してみた。
とはいえこれは想定で、予約開始をして実際に本が届いてからは随分状況が変わってしまった。
なにより誤算だったのは、使える在庫が少なかったこと。印刷の不具合で商品として出せないものが多かった。
先ほど書いた想定では、不具合があるとは考えておらず、発注した数量全量が販売できると思っていた。
でも実際は歩留まりが悪く、17冊が商品として出せない。
これは印刷所が悪いわけではなく、不具合の出やすい表紙の仕様にしてしまったことが要因だと思っている。
表紙の仕様は、PP加工をせずに紙の風合いを残すようにしている。印刷でのったインクが掠れて周りにつくので、汚れに見えてしまいやすい。
それにしてもこんなに使えないとは思わなかった。サンプルとかで使い道は考えたいと思う。
現在の主な販売媒体は、BOOTHだ。
BOOTHでは、在庫数量を設定できる。
記名配送と匿名配送を同数の設定をしていたが、早々に記名配送の注文数が25を超えたため、売り切れにならないように在庫移動をして調整をした。なので匿名配送分で購入していたクッション封筒は現在余っている。
あとは、確かにそういうこともあるか、と思ったのは、取り置き。
今度会うときに直接購入したいとDMをいただいた。想定していなかった分、余計に嬉しい。
文フリで販売する分を確保しながら在庫を見ていたが、BOOTHの記名配送が一時的に在庫切れになってしまい、どうしようかと数時間悩んだ。
どちらの配送手段も残した状態にしたかった。
在庫切れになってしまいました。と告知をするチャンスでもある。数を限定していることを前面に出した訴求方法だ。
売れてる感が出せる。
残りは文フリ分として確保しておいて、通販は休止することも考えた。
印刷部数、使える部数、販売済みの部数、取り置きの部数、私家版を置いていただける書店様に卸す部数、これらを並べて販売可能部数を計算した。
直接販売は少し余裕を持っておくとしたら、文フリ分は20の確保はできなくなってしまっていた。
また数時間悩む。
今回私家版を作ることを考えた理由。これからどうしていきたいか。
私家版は刹那性があると思っている。在庫がなくなれば増刷するかは著者次第で、手に入れられなくなる可能性が高い。
そんな私家版がかっこいいと思っていた。
販売と頒布。
売りたい、利益を出したいというよりも私家版を作り読んでもらいたい。という思考である。とすると、意図的に刹那性を求めるのとは違ってくる。売るための惹句として、売り切れ感を出すのも違う。
名刺を数量限定で作るのかというと、そんなことはない。知ってもらうために作るものを限定してどうする。
そのように思った。
じゃあなんで値段をつけて販売するのか。たくさん作って献本すれば良いのではないか。という意見がわいてくる。
たくさん作れるほど予算に余裕はないし、そもそも面白くない。
押し付けるのではなく、興味を持ってもらいながら知ってもらいたい。
だから私家版で作り手売りをするのだと思う。
最終的に数十冊余るくらいが精神的にも良いのかもしれない。
こんなふうに自分内会議をすませ冷めてしまったコーヒーメーカーに残っていたコーヒーをマグカップに注ぎ、冷めたコーヒーの味だなと思いながら、まずは文フリ分を確保することをやめることを決めた。
売るものがなくなったら50冊追加でつくる。そうも心に決めた。
ひとつ結論が出ると気持ちが楽になる。
大きな宣伝をするわけではないけど、手にとってもらえる人が増えたらいいなと改めて思っている。
ささやかな願いをもって生きているもうじき綿毛の飛んでゆくころ/鈴木ベルキ