愉快な動物たちが蟻の街・墨田区を勝手にコンテンツマーケティングしてみた
こんにちは、パンダです!
今回、演習科目で「墨田区を勝手にコンテンツマーケティングしてみよう」というグループワークが出たので、私たちは”動物になって「蟻の街のマリア」から墨田区をブランディング”してみることにしました。
ツッコミどころが多すぎて申し訳ないのですが、ひとまず「蟻の街のマリア」について簡単に説明させてください。
蟻の街のマリアというのは、1958年に制作された映画で、設定はザックリとこんな感じ。
蟻の街
→現在の隅田公園(の一角)
マリア
→北原怜子がモデル。彼女の洗礼名。
北原怜子。彼女は病弱だったのにも関わらず、For othersの精神(本学の建学の精神でもある)で、ひたすら他人のために尽くした人。まさに、マリアと呼ばれるにふさわしい女性ですね!
【各動物の役割分担について】
あらすじ紹介
→ゾウ(肝心の"入り"がうまい!)
「蟻の街のマリア」の感想
→トラ(文章がトラのようにカッコいい)
老舗店紹介
→ナマケモノ(仕事がはやい…っ!)
オンライン聖地巡礼
→タヌキ(簡潔で読みやすい!)
墨田区の今後の考察
→ペンギン(読みさすさに定評あり)
リード文&編集&まとめ
→パンダ(マネージメントも学べて◎)
墨田区の雰囲気を味わえる、あま〜い喫茶店も紹介していくので、ぜひ読んでみてくださいね。
ではまず、ゾウさんレポから見ていきましょう!
「蟻の街のマリア」のあらすじ
「蟻(あり)の街のマリア」
そう呼ばれたある女性の存在を皆さんは知っていますか?
1950年代、隅田川に架かる言問橋の西岸に貧しい人々の集落、通称「蟻の街」があった。北原怜子は、その「蟻の街」で廃品回収業を営む共同体「蟻の会」の運営を手伝い、そこで生活する子供たちのために活動したクリスチャンの社会奉仕家だ。自身も廃品回収をするバタヤと呼ばれる廃品回収業者となって「蟻の街」で暮らし、病と闘いながら人々に尽くして28歳の短い生涯を終えた。自己犠牲をいとわず貧しい人々と共に生きる姿が注目されて、怜子は「蟻の街のマリア」と呼ばれるようになり、映画や舞台にもなった。
首藤サチヨ ”北原怜子さん” すぎなみ倶楽部 2020-05-18 <https://www.suginamigaku.org/2019/08/kitahara-satoko.html> (引用2020-8-15)
もともと病気を持っていたのに身体を酷使したためか、わずか28歳でその生涯を終えてしまった北原怜子さん。
私はまだ20歳になったばかりなので、「あと8年」と考えると、あまりにも辛くなりました。
28歳。自分自身が落ち着いてきて「これからやっと、」というときだと思うんだけど、彼女の遺志を継ぐ人たちをみると、人生は「何年生きたかではなく、どのように生きたのか」が大事なんだと思い知らされました。
「蟻の街のマリア」の感想
お次はトラレポ!早速いってみましょう!
私はこの授業を履修するまでアリの街の存在を知らず、正直マリアと言われてもピンと来ていなかったが、調べてみると小説や映画などでしか見たことのないような環境下で暮らし、そのような環境で働いている人々についての記事が沢山出てきて興味が湧いた。
戦後の日本において、飢えや貧困は切っても切り離せない事項であるが、このアリの街という地区では特にその傾向が強く、廃品回収で生計を立てるというまさにギリギリの生活を強いられていたという。
私はそんな環境下に足を踏み入れ、共に労働、生活をするマリアの勇気は称えられるべきであり、なぜあまり知名度がないのかと疑問にさえ思った。
今回の授業においてこのアリの街という地域の存在、マリアと呼ばれた北原怜子の功績を知ることができ、新たな思考や知識の拡大を感じることができた。この場で、このテーマを扱って下さった教授に感謝の意を示したい。
想像以上にカッコいい文章だったので、引用機能つかってみました^ ^
稚拙な感想で申し訳ないですが、
「なぜ知名度がないのか?」
おそらく、この記事を読んだ方の多くはそう思うはず。テレビでこういう特集流したらよさげですよね。
「蟻の街のマリア」オンライン聖地巡礼
ではここからは、タヌキさんにバトンを渡してみようと思います!
旧蟻の町🐜
【当時】1950年〜
隅田公園
-Google Maps-
〒131-0033 東京都墨田区向島1丁目3
03-5608-6661
新蟻の町🐜🆕
【現在】1960年〜
潮見駅
-Google Maps-
〒135-0052 東京都江東区潮見2丁目7
第二次世界大戦後、職も住む家もない人々が隅田川の言問橋の近くに集まって「蟻の会」という共同体を作り、廃品回収で生計を立てていた。その労働者達が住む場所は「蟻の町」と呼ばれ、今の墨田公園の一角にあたる。
東京都は幾度となく蟻の会に立ち退きを求め、1960年6月4日に潮見地区へ移転した。敷地面積は16000㎡で、旧蟻の街の10倍であった。潮見地区はかつて「深川枝川町地先第8号埋立地」と呼ばれていた。
移転当時は何もなく、北原玲子と蟻の会の人々の願いである教会が建てられた。
特徴⇨潮見駅から徒歩2分で行ける!!
-Google Maps-
カトリック潮見教会
宗派:カトリック教会
創建:昭和35年(1960)
〒135-0052 東京都江東区潮見2丁目10−5
03-3644-8189
幾度となく立ち退きを求められた蟻の街。しかし、最終的には広大な土地を手に入れています。正義はどんなに虐げられても、”最後には勝つ!”ことが証明された、良い事例ですね。
蟻の街の雰囲気が味わえる!墨田区オススメの老舗店
さて、ここからはナマケモノが担当していきます!
聖地巡礼の際、ぜひ訪れてほしい老舗和菓子屋さんを1店舗紹介します!
【埼玉屋小梅】
埼玉屋小梅は、創業121年の和菓子一筋の老舗。
江戸以来の伝統を守り、最新技術と最高級の原料を吟味し四季折々の自然の風味を大切に手作りの和菓子を作っています。
まずご紹介したいのが、埼玉屋小梅おすすめの桜橋まんじゅう!(一個160円)
出典 "おすすめ和菓子"「和菓子 埼玉屋小梅」<https://saitamaya-koume.com/recommend/>(2020-08-15)
こちらの商品、あんこに桜の塩漬けのしぼり汁が加えられているんです。甘じょっぱい感じに堪らなくなること間違いなし。
次は、埼玉屋小梅おすすめの小梅最中!(一個180円)
出典 "おすすめ和菓子"「和菓子 埼玉屋小梅」<https://saitamaya-koume.com/recommend/>(2020-08-15)
あんこにはこだわりの京都丹波の大納言を使用しており、可愛いお花の形がとても好評です!🌸
季節限定の和菓子もどんどん紹介していきます。今年の夏は、、、
水まんじゅう(一個160円)
出典 "季節の和菓子"「和菓子 埼玉屋小梅」<https://saitamaya-koume.com/season/spring/>(2020-08-15)
水ようかん(一個160円)
出典 "季節の和菓子"「和菓子 埼玉屋小梅」<https://saitamaya-koume.com/season/spring/>(2020-08-15)
うーん。本当においしそう。死にそうなほど暑い今だからこそ、ぜひ冷やしていただきたい和菓子がたくさんありますね。
また、喫茶店もついていて、甘味処では、かき氷(7月~8月)を楽しめます!
出典 "お店について"「和菓子 埼玉屋小梅」<https://saitamaya-koume.com/shopinfo/>(2020-08-15)
材料をこだわっているにも関わらず、どの商品もお財布にも優しいお手頃価格なので、ぜひ墨田区を訪れた際には立ち寄ってみてください!!!
アクセス
〒131-0033 東京都墨田区向島1-5-5
TEL:03-3622-1214
ただし!月曜は定休日なのでお気をつけくださいね!!
以上、なまけものレポでした〜!!
蟻の街、墨田区の今後についての考察
さて、いよいよ終盤に入ってまいりました。以下、ペンギンさんレポです!
墨田区は下町の雰囲気が残る工業が盛んな地域である。隅田川では四季を通じて、桜や花火大会などで季節を楽しむことができる。
加えて、病弱ながらも、For othersの精神でひたすら他人に尽くした北原玲子さんのように、自分も他の人を思いやることができる人間になりたいと感じた。
都内随一の歴史と伝統があり、そしてなにより人情味のある墨田区は、これからさらに魅力ある地域になっていくと考えた。
考察ってつい冗長な文章になりがちですが、見事にまとまっていますね!さすがペンギンさん!
パッと見では魅力がわかりにくい墨田区。しかし実は、東京都で最も個性的なのかもしれません。
まとめ
最後まで読んでいただきありがとうございました!
意外にも歴史が深い蟻の街:墨田区。
あなたもこの街のトリコになってしまったのではないでしょうか?
違うグループの方も記事を書いているので、ぜひこちらから覗いてみてください〜!
墨田区を知る・演習科目リサーチレポート|Yosikatu Haruki|note
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