がんばろう北陸②生まれて初めて避難所へ(2024. 1. 1)
能登半島地震が起きた日のことを書きます。辛くなる方は読むのを控えてください。(1542文字)
最寄りの避難所は小学校の体育館。
行くと、すでに多くの人が避難所が開くのを待っていた。
我が家のmダックス。連れては来たが、大暴れの大パニック。脱出するつもりなのか、クレートの底を滅茶苦茶、掘り掘りし、吠えまくっている。困った。
通りがかりの人は「わんちゃんも家族だものね」とか、声をかけてくださるが、避難所の中に連れて入れるのは躊躇われた。
やむなく、mダックスは家に連れて帰ることにする。一旦戻り、夫に託す。
※こんな行ったり来たりは本当はダメだと思います(汗)
避難所が開き、中に入ると近所の方から声をかけられた。無事を喜び合う。津波の心配がなくなれば帰宅するという。
娘たちもかつての同級生に、思いがけず再会したりして、喜び合っていた。
その合間にも、余震に見舞われ、その度に緊急速報が鳴り響く。
その日は北陸にしては穏やかで温かだったのだが、日が沈むと、さすがに冷え冷えとしてきた。
18時頃、3階と4階の教室に暖房が入ったとの校内放送。3階図書室を授乳室に使ってほしいとも。
知り合いの老夫婦を見かけたので、放送の内容を伝える。唐草模様の風呂敷包みを開け、毛布を1枚とパンと飲み物をお渡しする。
多くの人が教室に移動したので、体育館は閑散とした。残った人は私たちを含め、30人ほど。
私たちは、体育のマットを2枚借りて、その上に座布団とクッションを置き、寄り添って座った。毛布を横長にし三人の膝にかけた。二女が持参したホッカイロを出してくれた。私も持っていた軍手を出した。
職場からの安否確認メールに回答。
娘家族、弟、両親にLINE。皆無事。
県外にいる友人にLINEで無事を伝える。
神奈川にいる親戚からのLINEにも皆無事と伝える。
午後19時半に水、防寒用アルミシート、パンを希望者に支給するとの放送。
備蓄があるのだろう。良かった。
避難している階ごとに呼び出される。まずは水、次に防寒用アルミシート、パンの順。その都度並ぶというシステム。
高齢者が側にいる場合は、かわりに取りに行ってあげる配慮が必要そう。
毛布は段ボール箱に入った状態で、体育館に持ってきてくださる。圧縮されたフエルト地の毛布で、持参した毛布に重ねるとかなり暖かくなった。
20時すぎ、体育館にも暖房が入った。火の気があるとないとでは全然違う。
津波が到達したという情報は入るが、津波が押し寄せてくる気配はなく、それぞれの判断で帰宅を始める。うーむ。
ま、帰っても大丈夫なのだろうけど、その前に避難所で支給されるパンとはどのようなものかが気になり、いただくことにする。
市販のあんぱんサイズ、甘い生地のロングライフパン。ひとり1個。結構、美味しかった。ただし、アレルゲン除去はされていない。アレルギー疾患のある方は要注意。家から持参した森永ピクニックコーヒーを口にする、
「ううっ、ちめたい!」ぶるる…一気に冷えるw
午後9時半帰宅。ガス以外は大丈夫とのこと。家に入る前に、もう一度安全装置の解除を試みる。今度は成功(涙)
なんだか、気持ちが昂っている。落ち着こうと、コーヒーを飲もうとして気づいたのだが、このように↓
食器棚のガラス戸に、中の食器がもたれかかっている…
こりゃいったい、どうすれば良いのだ。
家族に扉を開けないように伝え、一旦その場を離れたのだが、夫が開けてしまった。昔話でも、つい開けたり、のぞいたりは男の人が多い気がする。
奇跡的に食器2個割れるに留まった。
ケガがなく良かった。
後片付けをして、その日は服を着てふとんに入るも、なかなか寝付けないのであった。
読んでくださってありがとうございます。
北陸の伝統工芸品をひとつ、ご紹介します。
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