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父とわたし③狂犬病予防接種会場にて

昭和の大阪万博の少し前のこと。
近所の友だちから、子犬を見に行こうと誘われた。わたしは小学2年生だったと思う。
近所の神社の神主さんの家の雌犬が子犬を産んで、神主さんの奥さんから「見に来てもいいよ」と言われたという。当時、神社の境内は子どもの遊び場で、神主さんは子どもにも身近だった。わたしは犬に追いかけられたことがあって、犬は苦手だったけど、子犬を見てみたくて行く約束をした。

約束の日、神主さんの家の裏出口の戸を開けると、3匹の子犬が木箱の中で丸くなって寝ていた。
「かわいい…」
白が2匹、茶が1匹、白い犬はもらい手が決まっているのだそう。茶は雌犬だった。
家の人が茶の子犬を抱かせてくれた。子犬はわたしの腕の中ですやすやと眠り、わたしを受け入れてくれているようで嬉しかった。

やがて、茶の子犬はうちの犬になり、「コロ」と名付けられた。
コロはなかなかの美犬だった。
バンビのような目、真っ黒な鼻。少し大きめの耳がピンと立ち、薄茶色のボディーに赤の首輪がよく似合った。頭も良く、難を言えば、脚がやや短めだった。

そんなある日のこと、母が「よいこのための何とか百科」的なタイトルの全12冊を買ってくれた。訪問販売のセールスで買ったのだが、今思っても良い本だった。そのうちの1冊が「どうぶつ」で、コロが来たばかりだったから、わたしと弟は「イヌ」の章をよく眺めていた。
世界のいろいろな犬を見開きで紹介したページには、見たこともない犬たちが展覧会のように一堂に会していた。犬は丁寧に描かれていて、その脇には犬種と国が書いてあった。
驚いたことに、その中にコロにそっくりなイヌがいた。そこには、
「しばいぬ 日本」とあった。
コロは「しばいぬ」だったのだ!(と思った)
そのとなりには、コロの兄犬にそっくりな白い犬が描かれていて、
「きしゅうけん 日本」とある。
コロのお兄さんたちは「きしゅうけん」だったのか!(と思った)
父に見せると、「ほんとうや!」と言って、家に来る人に「柴犬」としてコロを紹介していた。地元の神社から貰われてきた、由緒ある「柴犬のコロ」は父の自慢になった。

* * * *

春先になると、飼い犬は狂犬病の予防接種を受けなくてはならない。
父とわたしはコロを連れて接種会場へと向かった。何を察したのか、途中コロが動かない。鎖を引っ張るも、なんとかして家に帰ろうとする。どうにか力づくで会場へ連れてきて、受付に並んだ。

受付の人 :  「犬の名前は?」
父 : 「コロ です」
受付の人: 「性別は?」
父 : 「雌です」
受付のおじさんが、父が答えたことを台帳に記入していく。
受付の人 : 「犬種は?」
父 : 「柴犬です」

ここで、受付のおじさんは手を止め、コロをチラと見て言った。
「柴犬ではないでしょう」
父とわたしは心底驚いてしまった。
(なんと失敬な!)

父は負けていなかった。
「柴犬です、間違いない」
受付のおじさんは、やや呆れて「いやいや…雑種ですよ」と言ったのだが、
父は、わからん人だなと言わんばかりに、
「この犬は、〇〇神社で生まれた犬で母犬も柴犬です。いっしょに生まれた兄は紀州犬だ!」と言い張る。
わたしは大人の男が外で言い合うのを初めて見た。周りの人がジロジロ見ても、おかまいなし。どちらも譲らなかった。父はほかの係の人にうながされ、コロに注射をしてもらうため、その場を離れた。
コロは注射を嫌がり、皆お利口にしている中で、一匹だけ大暴れであった。その間に、受付のおじさんは犬種の欄の「雑」と言う字を丸で囲んでいたのだった。

* * * *

コロが正真正銘の「柴犬」なら、兄犬もみな「柴犬」のはずで、「柴犬」と「紀州犬」が兄弟だなんて到底ありえない。わたしがそのことに気づくのは、もう少し後のことである。



ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
コロは5回子犬を生みました。4匹ずつ、計20匹。
白、黒、茶、それはそれは、いろいろでした。


父とわたし③



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