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渋谷・コクーン歌舞伎「天日坊」

2022.2
中村座を始めとする歌舞伎役者の方々や演劇の役者の方々が演じる「天日坊」を観劇。

観劇してすぐにメモはしていたのだけど、舞台から受けたエネルギーが強すぎて、なかなか文字に起こせず、少し間があいてしまいました。
4月の大歌舞伎の第1部で「天一坊大岡政談」の演目が上演されることを受けて改めて感想を書きました。


河竹黙阿弥が明治になって書いた「天一坊」は
尤もらしい筋立ての実録物で今でも時折上演されるが、驚きは少なく、「天日坊」は、幕末の黒船パンデミックの年に書かれた、黙阿弥の処女作とされ、1字違いの時代物の長編だが驚きが連続する。わくわくするドラマチックな展開、目もあやな幻想、躍動するアナーキズムの戦きは若い頃に一作を読んだとき、たちまち無頼な「天日坊」の虜となった。

※天日坊パンフレット  中村哲郎氏のコメントより引用


天一坊も観たことがない素人ですが、古典の天一坊ももちろん観たいと思うし、多くの作品に触れたい。
天日坊を観て感じた、わくわくするドラマチックな展開やクドカンさんのコメントにある、俺は誰だ?私は誰だ?その答えを探す旅こそが人生そのものなのではないかと思います。

天日坊は2012年が初演、当時中村勘九郎を襲名したばかりの中村勘九郎さん主演のコクーン歌舞伎、10年を経て今回再演。
中村座が初演するまでは150年近く上演されなかったお話で「源頼朝やイザ鎌倉へ」と今の大河ドラマともと通じる部分が多くあり、鎌倉時代のこのお話を江戸時代の民衆もどうなるか分からない自分達の生きている時代への不安を打ち消すかのように楽しんで観ていたんだろうな、と思うと感想も長くなってしまいました。
でも自分のnoteなので好きに書きます。


脚本はクドカンこと、宮藤官九郎さん。
普段歌舞伎を観たことがない人でも話が分かりやすく、音声ガイドがなくても楽しめる。
歌舞伎に興味あるけど、いきなり歌舞伎座は、、という人にもぜひ観ていただきたい。
という私もど素人ですが。
初演の時からは30分ほど短縮されてカットされているシーンもあり、クドカンさんが泣く泣く削除した30分も観てみたいけれど、初見の私は大満足な舞台でした。

演出・美術は串田和美さん、劇中の背景にお名前が入っていて、これ串田さんが描いてるの?
舞台の幕が開くとすぐに目に飛び込んできた串田さんのサイン。
二刀流なのかそれとも、器用な方は舞台の世界には他にも沢山いらっしゃるのか。凄すぎる。

日芸の特任教授という記述を見たけれど、これはまさに美術さんのお仕事ですよね。温かみのある舞台をパッと明るくする水彩画タッチの絵というか、もはやセット。
素晴らしい!!!もう一幕の前半は串田さんの絵も細部まで見たい、役者の皆さんからも目が離せない、まさに目が釘付けに。

照明が効果的に使われていて、舞台に暗幕がかけられたかのように、次々と場面転換していくのもテンポがよく全く飽きません。

また、観客席の上手、下手側それぞれにバンドの方々がいらっしゃり、トランペット、キーボード、エレキギター、ベース、パーカッション、天日坊には欠かせないバンドの生音。
トランペットの切ない音が聴こえ始めた時には舞台の上手の裏の方から音色が聴こえてくるような、切ない舞台の情景とよくマッチしていて、まるで劇中に入り込んだかのような錯覚を覚えました。


印象的なシーンは前半の化け猫騒動の芝居と
勘九郎さん演じる法策の表情や顔付きがガラリと変わっていくところ、立ち回りと音楽
七之助さんは圧倒的な存在感と美しさで、近づいてはいけない危うさと儚げな表情と颯爽とした動きが魅力的。
ほんとになんて華がある役者さんなんだろう。

暗闇の中での勘九郎さん、七之助さん、獅童さんの3人でのだんまりが美しく、本物の歌舞伎役者って、ピタッっと止まることができるんだ、と見入ってしまい、呼吸することを忘れてしまうくらい素晴らしく何度も息を飲みました。


本当は生きることに意味なんてなくて、強く意志を持って何かを成し遂げる、そんな大層なことを達成する身ではなくとも、自分て何者なんだろうと1度は考えたことがある人は多いのではないか。

劇中では本当は自分が誰かなんていうのを見つけようともしていないのではないか、とも感じられ
だからこそ感情移入して、片時でも舞台から目を離せなくなるのかもしれない。

勘九郎さんが命を削って演じた、今まで生きたなかで1番疲れた役と言わせた法策という役。

またいつか天日坊の世界に会える日には、コロナで削除された30分が取り戻せる世の中になっていますように。

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