蝶の生活
寒いとやっぱり、温かいものに触れていたいと思う。暑いとその反対で。
僕は強風の日(五日前でした)、道を歩いていて肩を痛めました。肩の痛みの原因が「風」です。人に言ったら笑われました。(僕は、上半身がとてもひ弱にできていて、ある飲み会で先輩詩人の方に二の腕を触られて「細っ」と特におもしろい比喩も使われず扱われるほどです)また同じ日(五日前の夜でした)、帰り道の100均で300円のフェイクファーを買いました。かけてみるととてもあたたかい。フェイク、偽物の毛皮。とはいえ、見た目はデヴィ夫人が身にまとっているようなもの。そんなふうに「あ~ら、安いのねぇ」と僕は、体と空気のあいだに、季節を受け入れがちな黒光りする一つの美点を手に入れたのでした。
そして部屋に持ち帰ったフェイクファ―をいろんなところに置いた。
ベッド、本棚の上、テーブル、キッチン……
そしてフェイクファーは飛ばない。蝶ではない。そういえば、最近読む本に蝶が登場することが多い。眠いからでしょうか? たとえば「ホメロスの蝶」(シュナック著『蝶の生活』所収)という掌編のなかで、詩人ホメロスの髭に隠れ住む蝶。ホメロスの死んだ後に弟子がみることになる、夥しい数の蝶。夏になって衰えて飛べなくなった蝶。僕は、300円で買ったフェイクファーを飛べなくなった蝶にたとえる。黒い羽、優雅なドーナツ型、キラキラのラメ。このファーは悲しくもこの世ではフェイクだった。フェイクじゃないのは、生きものであることを失ったとしても、それは本物なのだろうか。厚着の必要不要を考えさせる季節、めくるめく世界、本物と偽物を区切るところはどこなのだろうか。
夜になって僕は首に巻いて、眠る。飛んでいる。越境する(暖かいほうに向かう)。捕まえられる。その人の指に鱗粉がつく。
「細っ」……