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ショートショート ベタで下手な恋の話

恋人は、いつも遠くを見ている。目線の先に何が写っているのか、僕は知らない。どこか切なげで寂しそうな顔を、僕は時々横目に見ている。僕が君を見ていることを、多分君は知らない。

僕たちが付き合って半年が経つ。高校の終わり、お互い別々の進路を歩くことになって、離れてしまうことが許せなくて、何か繋がりが欲しくて、気が付いたら抱き締めていた。

「私のこと…好きなの。」

「うん。そうだよ。」

「私たち、付き合うの。」

返事の代わりにキスをした。君は少し驚いていた。目の前の頬が夕日に照らされて、赤く色付いている。まだ少し肌寒い夕暮れの帰り道に、二人の体温と吐息が相まって、淡い春の予感がした。


新しい季節の始まりは、どうしてこうも出逢いに満ち溢れているんだろう。僕たちは別々の大学に進学した。彼女も僕も、都内の大学だった。僕は工業系の大学で、ほとんど男所帯といっても過言ではなく、彼女は私立の大学の経済学部へと進んだ。

「テニスサークルに入ろうと思って。」

「良いんじゃない?楽しそうだし。」

「何か入らないの?サークル」

「どうしようかな。俺、バイトしたいし。一旦様子見しようかな。」

彼女は言った通り、大学のテニスサークルに入った。テニスラケットとウェアとシューズを新調するために、色んなスポーツショップへ買い物に付き合った。一方僕は、色んなバイトを掛け持ちした。早く大人になりたくて、一人で生きられるだけの、何か確かなモノが僕には必要だった。とにかくお金が欲しかった。


彼女のインスタに、見知らぬ人が多く登場するようになったのは、大学一年の夏頃だったか。海やバーベキューで大人数で楽しそうにしている写真の一人に、彼女もいた。茶色いストレートヘアに、短いスカート、屈託の無い笑顔、仲間たちと同じポーズをして楽しそうに写っている。


「おい!何してんだよ高藤。早くホールに行けよ。お前まだ上りじゃねえだろ」

「すんません。行きます!」

同じ時間を僕たちは生きている。僕たちには確かに、同じ時間が流れている、はずだ。


「ねぇ。どこ見てるの?」

「え?俺いま、何も考えてなかった」

「なにそれ。すごいぼんやりしてたよ?」

「じゃあ、ぼんやりしないこと…する?」

「……うん」

僕たちは、体だけは当たり前のように大人だった。艶やかな髪に、白い肌。潤んだ目、堪えきれてない声、行為の最中の彼女は一層魅惑的だった。徐々に汗ばんでゆく体と、酷く絡みつく音の中で、体だけなら簡単に繋がることが出来るのだと知った。心は、繋がっていたのだろうか。



夏の終わりと秋の始まりが同時に存在した頃、僕は大学の長期休暇を利用して免許を取る事に決めた。バイトで稼いだ金をはたいて、ただ少し経費を削減するために一番安いコースを選んだ。 それは二週間の免許合宿で、短期集中で免許を取るものだった。

免許合宿に来ているのは大学生がほとんどだった。メンバーと軽く自己紹介すると、聞いたことのある大学に通っている大学生がいた。彼女と同じ大学だ。しかもテニスサークルに所属していると言う。彼女が普段どんな風に過ごしているのか、少しだけ気になった。聞いてみようか。でも知り合いじゃなかったら…。やめておこう。

年齢も近い集団が二週間もの長い間、ほとんどの時を共にするとなれば、自然と連帯感が生まれてくるもので、合宿のメンバーとは三日ほどで打ち解け合うことが出来た。講義の後に、特に親しい何人かで部屋に集まり、くだらない話に花を咲かせる。
その中に例の大学生もいた。

「ねえ。みんなさぁ、彼氏彼女いるの?」

自然と話は恋愛の方へ寄っていく。いるよー、俺はいない…口々に声が飛ぶ。いると答えた人には尋問が開始される。どんな彼女?彼氏?何大?可愛い?格好良い?僕の順番が回ってきた。

「高藤くんの彼女は?どんな子なの?」

「俺のは…素直で可愛いかな…。大学は、佐々木さんのとこだよ。言おうと思ってたんだけど、多分サークルも同じなんじゃないかな」

「え?!そんなことってある?!世間って狭いんだね…。誰?何さん?」

「加奈、青柳加奈ってわかる?」

瞬間、佐々木さんの表情が凍りついた。

「彼女、ヤバイよ。色んな男と遊んでる。サークルクラッシャーで有名だよ。高藤くん、絶対裏切られてる」



「あんなこと…みんなの前で言っちゃってごめんね、でも言っとかないと高藤くんが可哀想で…」

あの後、呆然として何も言えずにいた僕を気遣って、すぐにお開きになった。これからあと一週間もあるのに、申し訳ないことをした。

「いや、いいんだ。佐々木さんが謝ることじゃないよ。俺、全然知らなかったから。多分言われなかったらずっと気付かなかったと思う」 

瞬間、唇に何か触れた。生暖かい何か。

「ッ…何……。ちょっと佐々木さん何す…っ」

「いいじゃん…高藤くんも遊んじゃいなよ。」

それは完全にパーソナルスペースを割った距離だった。佐々木さんが僕に迫る。ダメだ、拒まなければ。そう思いながらも、腰に回された手を振り解けない。彼女のペースに呑まれて、戻れない。次第に体温が上がってくる。佐々木さんの着ているTシャツが足元に落ちた。もう、戻れない。

合宿所の渡り廊下の隅、誰も居ない深夜の踊り場で、気が付いた時にはもう遅かった。




「どうだった?免許合宿、楽しかった?免許、取れた?」

二週間はすぐ過ぎて、僕は無事に免許を取得して、久しぶりに加奈に会った。加奈は長かったストレートヘアをばっさりと肩の長さまで切っていて、どこか別人のように感じた。

あの夜のことは、思い出したくない。佐々木さんと超えてしまった一線が、今もまだ罪悪感という鉛になって、僕は加奈をちゃんと見ることが出来なかった。加奈が大学で遊んでいるということも、もうどうでも良かった。それより、自分もまた同じように遊んでしまったことを、加奈に知られたくはなかった。

「ねぇ、どこ見てるの。何考えてるの?」

「え、あ、いや…なんでもないよ。ごめん」

「あのさ…、いや、やっぱりなんでもない」

何か言いたげで、それでも加奈は何も言わない。僕も、何も言えずに、ただ黙るしかなかった。でも黙ってしまうと二人の関係が終わる気がして、何かの繋がりを求めるために体を重ねた。僕たちは完全に、すれ違っていた。愛おしさよりも、暖かさよりも、ただ体の熱と荒い呼吸の中で、僕たちは恋をしていた。もう、無理だと思った。

「別れよう」

「え…、いきなり…?どうしたの」

「俺…、もう無理だ。ごめん」

加奈は俯いて、少し間を置いたあと、絞り出すような声で、

「ごめんね」

と呟いた。そして僕たちは、別れた。



大学一年の冬が終わろうとしていた。凍えそうな寒さを紛らわすかのように、街行くカップルが身を寄せ合って歩いている。イルミネーションの煌めきとスマホの光を交互に視界に入れつつ、白い息を吐きながら、僕は信号の青を待つ。彼女とはもう会っていない。連絡も取っていない。彼女に関するSNSを見ることは、なんだか悪い気がして、インスタもツイッターも、元のアカウントを消して新しく作り直した。その中に彼女はいない。

信号が変わった。人々が一斉に歩き出す。その瞬間、見覚えのある茶色の髪が視界に入った。ストレートヘアがマフラーの上でさらさら揺れて、彼女は正面から歩いてくる。その揺らめきを隣で感じた刹那、僕は思わず振り返った。

色とりどりのイルミネーション、マフラーの赤、人混み、雑踏。目に入るモノ全てが明るい中で、彼女の姿は闇に紛れるように消えた。

僕はまた、手元のスマホに目を向けて、煌めく夜を歩き出した。






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