ぺんぎん

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ショートショート 郊外

やけに蒸し暑い日が続いた。夏の終わりと秋の境に、頬を撫でる夜の空気は水分を多く含んで、心まで重い気持ちにさせる。 僕はいつも通り、バイト先で支給された制服に着替え、画一的なマニュアルに沿って、今日も適当に「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を繰り返す。 夜のコンビニには、色んな人が来る。お酒を買い込んで夜を語り明かす大学生の群、小腹が空いたのか、ほんの少しのスナックを買いに来る同棲中の若いカップル、疲れ果てた顔でご褒美のデザートを買いにくる仕事終わりのOL、小

    • 『君たちはどう生きるか。』我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だ。

      ネタバレにご注意。思いのままに綴らせていただきます。解釈は受け取る側の自由であり、創造は何よりも己の道であることを念頭に。 1、生まれるとは、ただ在ること。 在ることとは、生きること。 まず印象的だったのは、ペリカンとワラワラの関係性。羽を壊したペリカンは以下のように言う。「ここは地獄だ。どこまで飛ぼうが、辿り着くのはいつだってここだ。」「ここは魚が獲れにくい。ワラワラ(生の元)を食べるしか無い。」 ペリカンは群れを成す生き物だ。空を飛び、主人公のマヒトを襲おうとしたり、

      • 凪良ゆう 『汝、星のごとく』感想

        本屋大賞作品、『汝、星のごとく』 凪良ゆう 愛媛と東京を舞台として描かれる 男女の恋愛とその人生についての話 エピローグ 「私の夫は、毎週他の女の家に行く。」 物語の始まりは高校生。複雑な家庭環境の中で、暁海(あきみ)と櫂(かい)は、自分と「似た境遇」や「似た部分」を持つお互いを意識するようになっていく。 ムラ社会、閉鎖的空間、狭く窮屈なコミュニティ、噂話。 生きづらさを抱えて、それでもまだ大人にはなれない。未だ子どもの二人にはどうすることもできないのが現実である。

        • 伊藤計劃『ハーモニー』私見③

          ③で最後になります。長々と綴らせていただきました!ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます😊 5.自殺と意志についての考察 学生時代には友人に自殺を斡旋したり、自らも自殺未遂を繰り返したりしていたミァハであったが、物語終盤では自殺を「人間としてあるまじき最低の行為(P.346.12)」と唱えている。 後者についてミァハの自殺に対する考えの根本を、ショーペンハウアーの哲学に見出したい。 以下はショーペンハウアーの『自殺について』、『意志と表象としての世界』

          伊藤計劃『ハーモニー』私見②

          ②です。まだまだ書きたいことはたくさん… ご清聴よろしくお願いします…!! 3、生きさせる権力とパノプティコン 「生きさせる」権力について、フランスの思想家、ミッシェル・フーコーが提唱した、生権力という概念がある。 生権力とは、古典的な権力である「殺す権力」とは異なり、人間の生に積極的に介入し、然るべきやり方で管理・運営しようとする現代的な権力のあり方である。 以前の古典的な君主的権力は、君主が生殺与奪の権を自由に行使する暴力的な権力であった。 しかし時代と共に、生きる

          伊藤計劃『ハーモニー』私見②

          伊藤計劃『ハーモニー』私見①

          『ハーモニー』についての個人的見解をつらつらつら〜っと述べさせていただきます!! 時間があれば、読んでいただけると幸いっ! 1.はじめに 『ハーモニー』は、二〇〇八年に伊藤計劃によって発表された彼の第二長編作品である。伊藤の作品はSFを主体としながらも、現代日本における人間の生の問題を浮き彫りにさせ、生と死をリアリティを持って描き出す点に特徴がある。 本作『ハーモニー』では、前年に表された彼の第一長編作品『虐殺器官』における「大災禍」の後の世界が描かれている。 「大災

          伊藤計劃『ハーモニー』私見①

          すずめの戸締まり考察④〜「星を追う子ども」と「すずめの戸締まり」〜

          考察①、②、③の続きになります。 ここまで相当長く、語ってしまいました。これで考察はまとめに入ります。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 6、「星を追う子ども」と「すずめの戸締まり」  「すずめの戸締まり」は、「星を追う子ども」の復刻版と評されることがしばしばあり、著者もその意見に強く賛同したい。 「星を追う子ども」で描かれた「喪失からの再起」は、「すずめの戸締まり」の根本に据えられ、物語後半のラストシーンで、その意義をより一層実体化させ、昇華することに成

          すずめの戸締まり考察④〜「星を追う子ども」と「すずめの戸締まり」〜

          すずめの戸締まり考察③〜新海誠作品を「距離」と「時間」で読む〜

          考察①、②の続きとなります。長くなりますが、お付き合いください。 4、「距離」と「時間」に着目して  新海誠作品について考える時、「距離」と「時間」がキーワードになることを、私はこれまでずっと感じてきた。ここでは「距離」と「時間」に着目し、これまでの作品の傾向に迫っていく。 4–a、ほしのこえ  まず、2002年「ほしのこえ」では、宇宙と地上に引き裂かれた男女の恋愛物語であり、宇宙と地上との物理的「距離」の隔たり、そして「時間」のズレが描かれている。その物理的距離によ

          すずめの戸締まり考察③〜新海誠作品を「距離」と「時間」で読む〜

          すずめの戸締まり考察②〜災害三部作から見る「すずめの戸締まり」〜

          すずめの戸締まり考察①の続きになります。 3、災害三部作から見るすずめの戸締まり  新海誠の代名詞といえば、2016年「君の名は。」2019年「天気の子」だろう。この二つに加え、本作「すずめの戸締まり」は、物語に災害が添えられることから、災害三部作と称されることが多い。 「君の名は。」では彗星の落下による村の壊滅、「天気の子」では異常気象により降り続く雨と東京の浸水、そして今回は日本列島各地で起こる地震等、災害範囲が広がっている点も特徴的である。  以下、2016年か

          すずめの戸締まり考察②〜災害三部作から見る「すずめの戸締まり」〜

          すずめの戸締まり考察① 〜ロードムービーとしての「すずめの戸締まり」〜

          新海誠監督作品の最新作「すずめの戸締まり」を観てきました。非常に考察のしがいある作品で、メッセージ性もあり、とても素晴らしい映画でした。私は昔から新海誠作品の大ファンで、3年間新作を心待ちにしていたので、公開がとっても嬉しかったです。 想いは言葉にしなければ伝わらないので、つらつら綴らせていただきます!非常に長いので、いくつかの投稿に分けて書いていきます。 ※以下ネタバレ有りです。気をつけてください。 1、ロードムービーとしての「すずめの戸締まり」  すずめの戸締まりは、

          すずめの戸締まり考察① 〜ロードムービーとしての「すずめの戸締まり」〜

          ショートショート オートマティック ・ ライフ

          <21XX年、人類は想像を超える発展を遂げていた。中でも医療に関する技術革新は凄まじく、再生医療・ゲノム編集・免疫療法の活発化は、「治療医学」から「予防医学」への転換を進め、さらに超免疫細胞「HTMC(ヒト免疫細胞)」と「ATMD(自動調整装置)」の開発は、「完全な健康体」の達成を実現した。幼少期「HTMC」ワクチン接種と成人後「ATMD」 埋め込み手術は、法律により義務付けられている> サカガミマコトは今年二十歳になる。この日マコトは「ATMD(自動調整装置)」手術を控え

          ショートショート オートマティック ・ ライフ

          ショートショート クリスマスのおくりもの

          クリスマス・イブの夜、都会の喧騒で溢れる渋谷の街を一人彷徨う男がいた。  「ここはどこじゃ!?拙者は死んだのか!?」   男は江戸時代からタイムスリップしてきた侍だった。結い上げられた髪と腰の刀は時代劇に出てくる武士のそれである。 周囲の失笑にも気付かず、男は近くにいた女に無我夢中で声を掛けた。  「ここは日本か?おぬしは誰じゃ?拙者、佐吉という者でござる。何が何だか見当も付かぬ。先程からそこらを 巨大な虫が這いずり回っておる!あな恐ろし!」 ずらりと並ぶ車を指さし

          ショートショート クリスマスのおくりもの

          砂いじりおじさんとアルミンの対話より、「善く生きること」について(進撃の巨人最終巻34巻考察)

          印象に残ったシーンに、道でのアルミンとジークの会話があります。 ここでは道での二人の会話について考察していきます。 生命活動がただの「増殖」であるというのは一つの平面的な事実かもしれませんが、実際の生はもっと鮮やかで立体的で、無価値な幸せが実は「生きる」目的だったりするものです。 アルミンにとってのかけっこ、ジークにとってのキャッチボールは、例え「増える」ことと関係なくても、その人自身が生きていて良かったと思える「生の目的」だったのでしょう。 そう考えるとジークの安楽死

          砂いじりおじさんとアルミンの対話より、「善く生きること」について(進撃の巨人最終巻34巻考察)

          『竜とそばかすの姫』考察

          ずっと見たくて仕方がなかった細田守監督最新作『竜とそばかすの姫』をようやく鑑賞することができました。 結論としては、非常に感動する素敵な映画でした。歌唱シーンの圧倒的な重厚感と迫力、作画の精巧さと色彩美が際立ち、かつ作中人物のバックグラウンドや心情の対比、現代風刺など、さまざまな要素が詰め込まれていました。テンポよく物語が進められ、飽きることなく鑑賞することができ、非常に面白かったです。以下は『竜とそばかすの姫』ネタバレ有りで感想と考察を書いていきます。未鑑賞の方はネタバレ

          『竜とそばかすの姫』考察

          ショートショート コンプレックス

          誰しも何か一つ、コンプレックスを持っているだろう。小さい頃からずっと持っているコンプレックス、大人になってから気づいたコンプレックス。悩みの大きさは人それぞれだ。人にはそこまで気にならないことも、自分には特別気になってしまう、それがコンプレックス。 私にとってのそれは、顔だ。 中学生の頃だったか。ポツリと頬に一つ、赤くて大きい、いかにもなニキビが出来た。 「吹き出物ができる年頃になったのねぇ」 母は嬉しそうに言った。私はこれが一体なんなのか、よく分かっていなかった。赤

          ショートショート コンプレックス

          ショートショート ベタで下手な恋の話

          恋人は、いつも遠くを見ている。目線の先に何が写っているのか、僕は知らない。どこか切なげで寂しそうな顔を、僕は時々横目に見ている。僕が君を見ていることを、多分君は知らない。 僕たちが付き合って半年が経つ。高校の終わり、お互い別々の進路を歩くことになって、離れてしまうことが許せなくて、何か繋がりが欲しくて、気が付いたら抱き締めていた。 「私のこと…好きなの。」 「うん。そうだよ。」 「私たち、付き合うの。」 返事の代わりにキスをした。君は少し驚いていた。目の前の頬が夕日

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