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雪子 a.k.a. COMMENT


輪入道(ラッパー)

手法としてのラップがこれだけ確立されて裾野が広がった今だからこそ、多くの人に届いてほしいと感じる作品でした。
好きなラッパーたちの、普段目にする姿とは違う銀幕での眼にも刺激を受けました。
素晴らしい作品に出逢わせていただき有難う御座いました。

レイザーラモンRG(お笑い芸人)

親でもあり地方出身でもありラップバトル番組出演して負け続けたRG…この映画は自分そのものでした。だから見てて辛かった。しかし最後のラップシーンで号泣しました。辛かったシーンは全て報われたから。
RGが負け続けたラップバトル番組…辛かった…でも最後全てが報われた最高のラップバトルができたんです。
相手は…
この映画にも出てるカミナリたくみくんでした。
「雪子 a.k.a.」
自分そのものでした。

小林啓一(映画監督)

久しぶりに震えて、魅了されました。映画を観ているのを忘れてしまうくらい。台詞一言一言も丁寧で、映像的なアイデアもいっぱい。僕自身がすっかり映画の一部になっていました。僕の心にも火がつきました。この映画は草場監督じゃなきゃ生まれなかったと思います。いい映画をありがとうございます!

吉田大八(映画監督)

ラップの爆発で人生の諸問題を乗り切ったりしない。
ファンタジーを排したリアルが、かえって優しい。
教師にも恋人にもラッパーにも馴染めない、それでも生きていく、という誠実な着地だった。

長井龍(映画プロデューサー)

私たちは変装が本当に得意な生き物で、職場や家族、友だちの前でそれぞれ“別人“になってしまう。その上、空気を読むのも得意なので、職場の中でも何人かの“私“を飼っている。「本音と建前」とよく言うけれど、本音ってなんだっけ?と、もしかしたら雪子も、本音を言いたいためではなく、本音を取り戻すためにラップを始めたのかもしれません。 果たして、建前にあふれた世界で、雪子は本音に出会えるのか!?それにはラップもスクリーンも、味方する。

小野寺系(映画評論家)

「自分探し」という言葉が、バカにされるようになって久しい。しかしどれだけの人が、他人の考えや価値観に惑わされずに、自分の生き方を見つけられるだろうか。カッコ悪くてもダサいと思われたとしても、少しずつ本当の自分に近づこうと歩き出す、本作の主人公の姿は魅力的だ。この映画はたぶん、私たちの一歩も後押ししてくれる。

ISO/ライター

己を強く見せるラップより、弱さを含む胸中を綴るラップに心惹かれる。この映画の主人公も成り上がるためではなく、自身と対面するためにヴァースを蹴る。体裁や強がりが削ぎ落とされた時、彼女の言葉に宿る力は本物だ。HIP HOPと女性との連帯が彼女に気付かせる。雪子が真逆のMCサマーに成るように、最も嫌いだった部分が最大の武器に反転することに。これは自己を愛する過程についての作品なのだ。

樋口綾香(小学校教諭/文筆家)

教師としての自分、一人の女性としての自分――漠然とした不安の中で問いかける、「どんな自分になりたいのか」「どれが本当の自分の声なのか」。 30歳を目前に揺れる雪子の姿に、強く共感する自分がいた。不安、迷い、葛藤、そして心の解放。最後のラップには、彼女の本心と覚悟が詰まっていた。 もがきながらも前に進もうとする雪子の姿は、迷う自分と向き合う勇気を与えてくれる。 言葉にできない感情にそっと寄り添うことのできる雪子は、これからも多くの子どもや保護者に、一歩踏み出す力を届け続けるだろう。

つやちゃん(文筆家)

教師がラップ? 女性がラップ?
一見ヒップホップから遠いような存在として思われている雪子が、自分自身との闘いを乗り越えながらもう一つのキャラクターを獲得していく成長譚。
故郷を見つめ直すこと、女性同士で手を取り合うこと、子どもから勇気をもらうこと――ビートとラップとともに駆動しあぶり出されるのは、ヒップホップの本質に鋭く迫る雪子のアイデンティティだ。
回転するLPという他者の訛りに身体を投じていく雪子が、a.k.a「●●」としてもう一人の自分を見つけたとき、私たちは新たなラッパーの登場を目撃することになる。

METEOR(ラッパー)

雪子は今すぐ仕事辞めてラップで食ってけ!君には才能がある!

ミヤザキタケル(映画アドバイザー)

痛々しい。でも、その痛々しさには覚えがあった。自分がイケていないことは分かっている。けれど、その事実と向き合うことも、その事実を誰かに指摘されることもしんどい。そうして楽な方へ、辛くない方へと逃げていれば深く傷付かなくて済むけれど、どこかで必ず向き合わなければならないタイミングがやってくる。その時どう向き合うか次第で、今後歩む人生が変わっていく。打ちのめされて、追い詰められて、どん底まで達したからこそ這い上がり始める雪子。今ある自分を受け入れて、そんな自分だからできることを模索して、そんな自分にしかできない何かを磨いていく。自分を認められることの難しさと大切さを丁寧且つドープに映し出し、目にする者の心を揺さぶる力作です。

犬童一心 (映画監督)

主人公の雪子、すぐに答えを出さずに時間をかけて辿り着こうとする姿は、経済、効率優先の今、もっとも大切な態度、その勇気に感動させられます。 主人公も誠実ですが、草場監督の映画作りも慌てず騒がず誠実。細かな演出が積み重なってラップバトルで気持ちを爆発させるところに大きな映画のグルーブを感じました。 のんさんの「Ribbon」でとても素晴らしかった山下リオさんと久しぶりに会えてそれも嬉しかったです。

高橋泉 (脚本家)

教師×ラップ=。想像していた答えのもう一歩先へ、映画は連れて行ってくれる。ディスだけじゃ勝てない、リスペクトだけでも前に進めない。漠然と浮遊する日々の中、ラスボスはいつだって自分だ。

児玉美月(映画批評家)

ラップバトルとは、即興の言葉のぶつけ合いだという。主人公の雪子は負けるとわかっていても、ひたむきにそんな勝負に挑んでいく。うまく言葉が紡げなくて諦めかけてしまうときも、相手に響かないかもしれないと不安なときも、それでも伝えたい想いが心の中にある限りはずっと戦いはつづく。
雪子の姿に、きっと多くのひとが励まされるに違いない。

小橋めぐみ(俳優/文筆家)

胸に抱えたまま言葉にもできなくなっていた感情と、何度も何度もlinkして、その度に泣いてしまった。 自分に自信がもてなくても。不安なままでも。ほんの少しだけ、前に進むことはできる。進むためのヒントが、いっぱい詰まっていた。めげそうな時は、雪子のラップを思い出すんだyo!

乙一(作家)

本作の主人公はまぎれもなくヒーローである。彼女のような名も無きゴールキーパーは、この社会でさほど目立つことなく、悩みをかかえながら普通に暮らしているのだろう。僕にはこの映画が、彼女のような、誰一人取り残さない名も無きゴールキーパーたちへの応援歌のように聞こえた。彼女は思いを言葉にしてラップバトルを行う。勝つことにはこだわらない。やさしさにあふれた映画である。彼女に救われた少年少女たちは、彼女が強いことを知っている。

韻踏み夫(ライター/批評家)

ダメダメな私に、ヒップホップが甘ったれた許しを与えてくれるなんてことは決してない。この映画の重要な点は、雪子がヒップホップに曖昧に許されるというような、妥協的な解決が取られないということだ。彼女はとことん情けなく敗北するラッパーだ。しかし、厳しく打ちのめされることを通して、彼女の生は「リアル」になる。ヒップホップのリズムは、フェイクを振り落とし、リアルを選別する。そうして生を鍛え上げる。

常川拓也(映画批評家)

『スーパーミキンコリニスタ』に続いて、草場尚也は、理想と現実の狭間でもがく女性のタフネスを丁寧に綴る。彼のヒロインは、たとえバカにされたり、傍目にはイタくても、あるいは結婚など社会から課せられる義務に従わずとも、自分の感情に正直に生きることを模索する。故に、『雪子 a.k.a.』において、ラップは劇中でも参照される『8 Mile』のように成り上がるための武器でも巧拙を競うゲームでもなく、自分探しのツールなのである。尽きることのない日々の不安の中で、ラップが自己受容を可能とする。

リュイス・ヴァレンティ
(ジローナ映画祭フェスティバルディレクター)

「Yukiko a.k.a.」は、第36回ジローナ映画祭において、人々の価値観を繊細に描いた点が評価され、特別賞に選ばれました。
この作品は、人の心にとって不可欠な芸術的才能を際立たせている点が素晴らしいです。

金子雅和(映画監督)

現代日本のカルチャーを鮮やかに切り取りながら、草場監督の主人公にはいつも生々しい迷いがある。それは監督の、人や社会に対する正直さ、優しさの現れなのではないかと思う。 占部房子さん演じる教員の一人が、大切なことは「手で書きたい」と言う。ここにこの映画の誠意や良心が凝縮されていて、即興で言葉が生まれるラップシーン同様、「誰ひとり代替することは出来ない」生の尊さが描き出されていく様に、心を強く励まされた。

早雲(We Built This City/ZERO-Gravity)(ラッパー)

MCを名乗ってその世界に身を置く者の視点として、ヒューマンドラマとラップが、どのように物語の中で絡み合っていくのかと、視聴前からそこに興味を惹かれました。 テレビ等のメディアにラップが取り上げられる際、韻の踏み方などの技巧的な側面に焦点が当てられることが多い中で、『雪子 a.k.a.』がラップを以て物語の主軸に置いたのは『本音を伝えること』や『自分自身と向き合うこと』図らずも、僕がリリックを書く時や、言葉を扱う時に、一番重きを置いているところで、物語が進むにしたがって、制作者の方々が僕のことを理解してくれているような感覚を覚え、嬉しくなりました。 視聴後には、冒頭に書いた思いはきれいに消化されて、ラップそのものがMCそれぞれの人間を描くヒューマンドラマなのだ、と腑に落ちました。 主人公の雪子と環境は全く違えど、"教師×ラップ"の"教師"の部分を、各々の今に置き換えれば、一人のMCの半生を映したドキュメンタリーになり得るのだと思います。 そしてこれはMCに限らず、熱中出来る何かを通して自分自身と向き合うきっかけを、視聴者に投げ掛ける作品なのだと感じました。

東京都 30代 女性 小学校教員

雪子が自分の殻を破ろうとする姿に思わず胸が熱くなりました。
私も今では中堅どころと言える年齢になりましたが、同時期の自分と重ねて、彼女の葛藤の一つ一つに、「分かるなぁ。」と。
子供達と向き合って自分なりに真摯に働き、私生活も充実しているはずなのに、言語化できないもやもやした気持ち。
今は今で幸せですが、自分自身と向き合う雪子を見て、「あの頃に戻りたいなあ。」なんて思ってしまいました。
また、私は普段あまりラップを聞きませんが、とあるシーンでは「ラップってこんなにもダイレクトに心に響くものなんだ!」と感動しました。
これからさらにスキルアップしたり、ライフステージも変化したりして改めて鑑賞すると、見方が変わりそうな映画です。数年後にもう一度観てみたい!

長崎市教育委員会 50代 教員 男性

雪子とは、年代も、立場も違うけど、初めから最後まで「共感」しながら見ていた。若い 先生たちは、もっと強く「共感」するのでは。 前半のラップバトルで、雪子の「本音=普段言えないこと」に対する、「だからリリック が刺さらないんだよ」というセリフは、私にとっても痛かった。いつの間にか気持ちが映画に入り込んでいた。そこから、雪子が子ども一人一人とつながっていくシーンの一つ一つに感動した。

長崎市教育委員会 40代 教員 女性

ヒロインと同世代の先生には、共感できる部分が多いだろうなと思いながら拝見しまし た。 私自身も教員になりたての頃に感じたモヤモヤを思い出しました。誰かと共感したくて も、すべての状況を理解し、同じ気持ちになることはできず、まさに言語化できないモヤモ ヤが共感できました。ラップバトルは、迷いがあったり、自信がなかったりすることを否定 されているようで、自分の自信のなさが重なり、がっつり感情移入し、涙してしまいました。 経験を重ね、悩む内容が変わった今、純粋に直面する課題にぶつかる姿を、懐かしく思うと 同時に、こういうまっすぐな姿勢を今は持てているのか、自分の仕事に向き合うきっかけを もらった気がします。

30代男性 小学校教諭

何かあるたびに「働き方改革!」と言われ、常に効率化が求められるようになってしまった教育現場。この仕事をしていると、忙殺されてしまい、立ち止まって考える時間がありません。
迷って、悩んで、立ち止まる。
一見無駄に見えるものも、ちゃんと意味があるんだと思わせてくれました。
雪子の心の底から溢れ出る言葉は、とても重く、グッとくるものがあります。この感動がたくさんの人に届きますように。

長崎県教育委員会 30代女性 中学校教員

「分かる、分かる!」「あるよね、そういうこと。」この映画を見ながら、雪子が自分自身と重なり、何度も何度もうなずきました。雪子は、話が上手で、問題が起きてもすぐに解決してしまうようなスーパーマンみたいな先生ではありません。だからこそ、悩む雪子の姿に共感し、胸の詰まるような気持ちになるのだと思います。見終わったあとに、たくさんの人が思い浮かんで、誰かに伝えて共有したいという思いに駆られました。

長崎県教育委員会 40代女性 中学校教員

葛藤する雪子と、傷つくのが怖くて自分を守ることに一生懸命だったあの頃の自分が重なりました。でも、不思議と「今」は「あの頃」の自分を受け入れられる。この映画を見て、登場人物たちが語るシンプルでストレートな言葉に背中を押され、いくつになってもどんな仕事をしていても「自分に正直に生きていいんだ」と勇気づけられました。

長崎県教育委員会 30代男性 高校教員

周りの人から見た自分の姿と、ありのままの自分の姿には、誰でもギャップがあることを改めて気付かされる映画で、共感できる部分がたくさんありました。このギャップによる悩みは、子供だけでなく、大人も同じように感じるもので、ありのままの自分をさらけ出せる環境、認めてもらえる環境というのはすごく大切だと感じました。世代に関係なく、共感できる映画となっていますので、是非多くの方に見ていただきたいと思います。

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