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不幸話で繋がり続けようとする人に、無理して付き合わなくてもいい。
心の病みは伝染病だ、と前々から感じている。
母親が精神疾患(ヒステリック)であり、自身も精神疾患であるという人。
「境界性パーソナリティ障害の彼女に困っているんです」と言いながら、その人自身に境界性パーソナリティ障害の症状が見える人。
病んでいる友達と縁が切れなくて一緒に病んでいく人。
そういう人に会ってきた。
甘えだ何だと喚き立てて心の病を否定する人達は、「私はお前とは違うのだ」と大声を張り上げて主張することが、伝染病にかからない方法だと信じているのだろうな、と薄ぼんやり思っている。伝染病が怖い人ほど騒ぐものだ。昔から。
それはさておき。
あなたは自分が「病んでいる」と感じる人だろうか。
ひょっとしてあなたもまた、病んでいる誰かのそばにいて、病みが伝染ってしまった人ではないだろうか?
というか、生まれた時から先天的に心を病んでいる人など一人もいない、と私は考えている。
誰もかもが良くも悪くも、他の誰かの影響を受けているものだから。
そばにいる人を病ませるタイプには色々いるが、その中でも私はまず「自分の不幸話で人間関係を繋げようとする人」について語りたい。
◆なぜ人間関係構築のために不幸話をしてしまうのか
そもそも、なぜ他者との関係を繋ぎ止めるために不幸話が必要か、という所から考える必要がある。
日本には、他者を先に立てて自分は出しゃばらない行為や精神、「謙譲の美徳」を好む風習がある。
これ自体は別にいい。相手に愛情や敬意を示すためのものだから。
ただそれが長い年月をかけて日本人の中で歪んでしまったようで、相手を愛するためにやっていたことが、気づけば“私が嫌われないためにやること”になってしまったのだ。
自分を低く言えば、前に出なければ、嫌われないはず。
自分に起きた良いことは自慢話だと思われて嫌われるから、それを言わなければ、嫌われないはず。
嫌われないということは、ずっと関係を保っていけるはず。
何らかの理由でそういう想いを強固に固めた人は、「不幸話」ばかり言うようになってしまう。
しかし繰り返される不幸話は相手の心を蝕み、場合によっては病ませてしまうものだ。
これは「だから他人に愚痴や不幸話を言うな」という簡単な話ではない。
私の周囲には、内容は愚痴や不幸話のはずなのに語り方が面白くて、聞いていて愉快になってしまう人がいる。
人を笑わせ幸せにさせるならばいいのだ。
また、不幸話であっても「過去の話」である場合、それを乗り越えた人の話はとても面白い。
その乗り越え方から学べることもあるし、こんなすごい人でもそんな時期があったのだと励まされる。
私の言っている、相手の心を蝕む不幸話とは、
・今現在起こっている
・何度も繰り返している
・解決する気がない(あるいは上辺だけ解決しようという姿勢を見せている)
不幸話のことだ。
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