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漫画さえ描かなけりゃ、こんな苦しみも喜びも無かっただろう
ふと気づいたが、カウンセラーである私は自分の仕事(やっていること)に自信があるようだ。
創作、とりわけ漫画を描いている時の私が、あらゆる不安に呑まれやすい。
といっても、他人から何か言われたらどうしようとかそういった不安は無い。
他人に「お前の作品はつまらない」と言われても何とも思わない。
心理学を学んだおかげで、そういった言葉は全て「嫉妬」だと受け取れるようになった。
しかしいつも私自身が、自分の筆を折ってやろうと物陰で虎視眈々と隙をうかがっている気がする。なぜだ。
常に自分との戦い。
「うまくなりたい」とか「もっと読んで欲しい」とかの欲にまみれている。
だから「これ以上はもう望めないのではないか」という不安がやって来る。
自分の作品を「もっと面白くしたい」という欲があるから、「なんてつまらないものを描いているんだ」と貶(おとし)めてくる“自分”がやって来る。
カウンセラーだけやっていれば、こんな苦しみには出会わなかった。
きっと。
もちろんカウンセラーも楽しいことばかりではないし、始めたばかりの頃は不安がたくさんあったし自信もなかった。
けれど創作をする上での「それ」とはまるで違う、ように感じる。
カウンセラーとしての不安に対しては、「時間をかければ無くなっていく」という根拠のない自信があった。
経験を積み、さまざまな人に出会い、知識を増やせば、不安は和らいでいく。実際その通りになっている。
なのに漫画は描けば描くほど、技術が上がれば上がるほど「粗(あら)」が見えてくる気がする。永遠に満足いく作品など描ける気がしない。
いつだってその時の精一杯の力でやっているのに、1ヶ月経てば、1年経てば、すべてが「拙(つたな)い作品」に変わっていく。
そう思うのはもちろん、成長してるからこそなのだろうが。
「漫画家を諦めた私」のままでいれば、もう一度描きさえしなけりゃ、こんな苦しみはなかっただろう。
漫画を描いている時間を別の有意義なことに使えたろう。
描くものが拙い苦しみ、描くのが遅い苦しみ、漫画さえ描かなけりゃなかったはずのあらゆる苦しみが押し寄せてくる。
けれど、苦しいばかりの漫画描きの中には、「漫画を描かなければ得られなかった喜び」がある。
とても微(かす)かで、しかし強い光。
その光をもう一度見たくて、つい漫画を描き続けてしまう。
ただその光の正体が未だに不明瞭なのだ。
作品を書き上げた達成感なのか。
自分の読みたい作品が目の前に現れた喜びなのか。
私が漫画に込めた「何か」に読者が共感してくれた時の嬉しさなのか。
なんだかわからんが、私をとらえて離さない、光がある。
* * *
ということでこれからもグダグダと悩みながら漫画を描くのだろうと思います。昔よりは創作の苦しみがなくなってきている気がするので、いずれ「楽しいだけ」で漫画を描く日も来るのかもしれません。
ごきげんよう、さようなら。
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