赤ちゃんってめっちゃ泣くよね
題目の通りで。
赤ちゃんってめっちゃ泣くよねって話をしたくなった。
別に泣くのがうるさいとか親がちゃんとしつけろとかそういう話ではなくて、ただただめっちゃ泣くよねって話を。
というのも、町やら電車やらで聞こえる赤ちゃんの泣き声は他人事だからだろうか、自分に子供も配偶者もいないからなのか、気にならない、というより関心が向かない(積極的に助けろ的な話は一旦無しでお願いします)。
ゆえに、患者として赤ちゃんが来たときに、そのエネルギーにめちゃめちゃ驚く。そして困る。
隠してはいないし、その様な発信も今後していきたいので改めてここで言うと、僕は診療放射線技師、つまり主としてレントゲンを撮る仕事をしている。
健康診断で撮影するような胸部のレントゲンや、捻挫、骨折したときに撮るあれ。
中規模の病院で嘱託員として日々、9割方おじいちゃんおばあちゃんを相手に働いている。
自力では動けない、耳が遠い、会話ができないと患者さんは様々で、病院というところは肉体労働×接客業というふざけたカップリングをしていたことはまたいつかnoteにしたい(でも楽しいということだけは念のため)。
その中でもひときわ輝きを放ち、放射線室(技師がいるとこ)に受診票が回ってきた際大きな緊張感があたりを包み込む生命体。
それこそが”赤ちゃん”である。
赤ちゃんと言ってもその実、生後から2、3歳程度の小児までを指して便宜上”赤ちゃん”と呼称しているのだけれど(分かりやすく強い言葉を使おうとしている浅ましい人間の図)。
とはいえ、そのくらいの子は皆往々にして泣き叫び、暴れる。
やっぱ病院って怖いんだろうか。
少し薄暗い撮影室は狭く、X線を遮るための大きく重い扉が閉まればどことなく息苦しさを感じる。見ず知らずの大人達が周りを囲み覗き込んでくる。冷たいベッドに寝かされ、煌々としたライトに照らされながら目の前には大きな装置が迫り。つい数刻前まで自分を抱きかかえていた母の姿は見えず代わりに大人達に押さえつけられ、そして機械がその光線を発射するために大きな唸り声を上げる。
怖いわ。
というおふざけを抜きにしても、やっぱり親から離され知らん人に囲まれるのは怖いよね。
こういう場合親は外で待っててもらう場合が多いんだけど、これは自分がめっちゃ泣き叫んでるのに助けてくれなかったという潜在的な記憶を作らないためとかなんとか。
にしても、この大泣き大暴れはレントゲンとすこぶる相性が悪い。
なんせレントゲンは、「いかに動かない状態で素早くとるか」が肝なのだ。
レントゲンに用いられるX線はもうとんでもなく速い速度で飛んでいくが、それでも呼吸や体の動きがあると画像はぶれる。
だから撮影の際は大きく息を吸ったところで止めたり、吐ききったところで止める。
この辺の詳しい話はもう講義とかそういうレベルになるので割愛するけど、要するにレントゲンも普通の写真と同じかそれ以上に動きにシビア。
泣き叫べばその分大きく呼吸をすることになるし、大暴れは言わずもがな。
どうにか宥めるか、少しの間腕や脚を押さえその間にパシャっといく。
大暴れしているけれど、病院に来るということはどこかしらに不安があったということだから、できる限り診断に有効な写真を撮ってあげたい。
でも、いくら技術の発達により少ない線量で撮影できるとしても、小児に何度もX線を当てたくはない。
だからこそ、小児が受診してきたときはより一層の緊張感が走る。
そういえば、待合のソファではめっちゃ静かなんだよね。
技師に抱き着こうとするから、抱きかかえられてない状態っていうのは赤ちゃんにとって不安な状態なのかもしれない。
眠り始めた赤ちゃんをベッドに移そうとすると起きるみたいなの聞いたことある気がする。
あと、逆に生後10日とかだとあちらも何も分からないし何もできないからただ横に寝かせるだけで楽。
5歳くらいになると普通に会話できるからこちらの言うことも分かってくれる。
1~3歳くらいが一番緊張する。
いや、いいのよ。赤ちゃんはもうなんぼでも泣いてほしい。
先輩めっちゃ蹴飛ばされてたけど。
抱きつかれて、耳元で防犯ブザーくらいの大きさで泣き叫ばれてたけど。
幼い生命が、今後も健康に生きていくための一助となるならどれだけでも頑張る所存であることは間違いない。
ただ単純に、赤ちゃんってめっちゃ泣く生命体だってのを自分が子を育てる前に主体として付き合う立場で知ったということを書いておきたかったというだけ。
世の子育てする親にbig up
おわり