『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ著 池田年穂訳)~アメリカの「ドリーム」の下で
この本は、15歳になろうとする一人息子に、アメリカ国民である黒人の現実を語る長い手紙の形を借りてつづられた、告発です。
この本によってもまた私は、自分の無知を恥じることになりました。
この本は一応ノンフィクションということにはなりますが、自伝的な書簡体文学というほうが近い気がします。
文体も独特で、話題はあちこちへ飛び、歴史的事実と自己の体験が細切れに折り重なっているため、論旨を追うのがかなり大変です。3回通して読んで、やっと本書がどういう本かを理解できた感じです。
文体は歌詞を読んでいるようでもあり(実際、著者は歌詞を書いていた時代もあるそうです)、修辞的な繰り返しも多い。著者はマルコムXからも大きな影響を受けたとのことだったので、本書を読んだ後で映画『マルコムX』を観たところ、同じ構文を何度も繰り返して畳みかける感じはマルコムXにそっくりで、彼の影響が大きいように感じました。
約170ページの本書には著者の人生に現れた多くのものが詰まっており、感想を簡潔にまとめるのはかなり難しいですが、私は2つに分けてまとめてみます。
1 黒人差別と白人の「ドリーム」
私は正直言って、人種差別と外国人差別を、なんとなく同じ問題のようにとらえる程度の(もちろん重なる場合もあるでしょうが・・)、浅はかな理解しかありませんでした。
しかし人種差別、ことに米国での黒人差別は、肌の色等の違いのみによって、米国で生まれ育ちながら、国民の一員として、人間としてすら認められてこなかった問題です。しかも時には、自分の国が自分への差別を正当化し、暴力すら行使するのです。この点で外国人差別とは本質的な違いがあります。
黒人は奴隷としてアフリカから強制的に輸送された後、約400年間にもわたり「資源」または「燃料」として消費・搾取され、米国の発展に強制的に奉仕させられてきたにもかかわらず。
その長い歴史の中で育てられた「白人」に対する怒り、絶望、恐怖、時に憐みは、私のような日本人が「理解できる」などと気安くいえるものではありません。
本書では繰り返し繰り返し、黒人が暴力の恐怖にさらされていることが書かれています。これは権利とか尊厳とかいう前の、もっと非常に現実的な肉体と生命に対する危険です。
映画『私はあなたのニグロではない』でも、黒人作家のジェイムズ・ボールドウィンが討論の相手から「なぜ肌の色にこだわる?絆を築く道は他にもある」と非難されるシーンがあります。それに対し、ボールドウィンは、「アメリカでは常に警戒し、怯えている。これは命の危険の問題なだ」と反論します。
本書で著者が言うことも全く同じだと感じました。
著者が本書で一貫して糾弾するのは、白人が、自分たちの倫理観に過ちを認めない「ドリーム」に逃げ込んでいることです。
著者のいう「ドリーム」は多くのニュアンスを含みますが、あえて言えば、偽りの国家のイメージ、つまり、アメリカは偉大な民主的国家であり、自分は人種差別主義者ではなく、自分たちの繫栄は自分たちの能力で成し遂げられたものだ、というイメージです。
著者は、白人が「ドリーム」にとどまるために、黒人が底辺であることが必要だったといいます。
白人は、この「ドリーム」を失うことを恐れているという指摘に、私自身は、ドナルド・トランプ氏が「Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)」というスローガンを多用することが思い出されました。
一方で著者は、その「ドリーム」自体を変えることを黒人は期待してはならないといいます。息子には闘争を求めながら、それはあくまで自分たちのためだといいます。
本書で、解決への提言や未来への希望は一切述べられていません。
最初に読んだときはそれに疑問や反発を感じました。
しかし、本書を何度も読み、キング牧師やマルコムXは現に殺害され、今も警察が黒人を殺害する事件がなくならない現実を思うと、著者が「ドリーム」は変えられないというのは、その怒りと絶望の深さゆえと思っています。
2 恐怖と暴力
この本を読むと、恐怖と暴力と、その連鎖について思い知らされます。
本書では、黒人の家庭では、子どもがストリートや学校でヘマをして暴力を受けるのではないかという恐怖から、親が暴力で子どもをしつける様子が繰り返し描かれます。殴ったり、革のベルトで鞭打つのです。
こんなシーンがあります。著者が6歳のとき、祖父母に連れられて遊びに行った公園で、著者は祖父母のもとを離れて数分間ひとりで遊んでしまったのです。
著者は、暴力により痛めつけられた動物のようです。自分たちに加えられる危害について警戒を解くことができないのです。
本書でも、旅行先のパリで友人が観光案内してくれているのにも路地裏で身ぐるみはがされるのではないかと怯え、幼稚園の見学で息子が知らない子供たちの輪に入っていくのを「僕らの知らない子たちなんだぞ!落ち着け!」と叫びそうになったことが描かれています。
黒人である著者が育った境遇(ストリート)が、次のように述べられているのを思えば、仕方のないことだったのだと思います。
それでも著者は、父親が黒人の名門ハワード大学の司書で、著者自身も同大学で学んだ、おそらく比較的恵まれた環境だったと思われます。
それでも家庭の外でも中でも暴力の恐怖にさらされていたというのだから、黒人として生きる過酷さを思い知らされます。
最後に
こうして本書を読むと、黒人の大統領が誕生したことは、アメリカにとってどれだけの大きなインパクトがあっただろうかと思いました。しかし、本書では、その事実を前進ととられるような記述はほぼ全くありません。そんなことでは何も変わらないほど、黒人差別はアメリカに深く根付いてしまったということなのでしょうか。
幸い日本ではこうした国家的な人種差別を実感することなく生きられます。しかし人種差別は現実にあるし、それにより肉体を傷つけられ命を奪われる危険があることを忘れるべきではないと思いました。
※本書は翻訳も相当難しかったと思われますが、原文が多く引用されている書評として以下があります。