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文士たちの「石神井 カレーDays」

 秋の石神井公園商店街「パークロード石神井」では、ハロウィーンに合わせた「チルコロ石神井」に続き、三日間の日程で「石神井 カレーDays」が行われた。チルコロも活況で、子どもたちは仮装、大人たちはビールとすみ分けが進んでいるように見える。
 チルコロが終わったその日のうちに、今度はカレーの黄色いのぼりに切り替わった。なんとも素早い。もう十年ぐらい続いているようだが、コロナで開催を見合わせていたことを忘れそうだ。

 カレーDaysの由来は、坂口安吾が石神井在住の檀一雄の宅に同居していた際のエピソード「カレー100人前事件」がもとになっている。昭和26年(1951年)、「堕落論」などで人気作家となっていた坂口安吾は精神に不調をきたし、当時、婚姻関係にあった美千代に、近所にある「辰巳軒」と「ほかり食堂」に「カレー100人前」を命じた。
 イベントのチラシには相変わらず「文士が愛したカレーの石神井」とだけあり、意味が分かりづらい。精神錯乱に伴う奇行であり、取り上げるにも限度があるのだろう。
 美千代が安吾との結婚生活を回想した「クラクラ日記」(ちくま文庫)によると、実際のカレーは二十皿程度だったらしい。また、「ほかり食堂」の方は、2022年に閉店している。

「ほかり食堂」の鉾に黄色いのぼりが

 昨年との違いは、目下、石神井公園駅南口で再開発の工事が行われていることだ。角にあった「サンメリー」「星乃珈琲」「まなマート」はすでに更地なっていて、白いフェンスに覆われ、物々しい。石神井大鷲神社は遷宮し、酉の市は和田稲荷神社の中で行われている。
 昨年は、老舗の和菓子処「新盛堂」の前で、チンドン屋と「カレー星人」が賑やかしを行っていた。新盛堂の建物も撤去され、今、別のところで営業を続けているが、「カレー饅頭」は健在だった。

現在の再開発予定地

 イベントにはすべての飲食店が加わっているわけではない。「全店参加」を促せば、街をあげて盛り上がれる気もするけれど、無理のない範囲でやっているようだ。
 参加している飲食店のひとつが、昭和43年(1968年)に創業された、中国料理の「受楽」である。石神井には中華料理店が多いが、駅前で立地がいい。地元の集まりに使われたりもする。
 石神井公園駅は高架化に伴い、ロータリーや道路、並びの店舗が大きく変わった。工事前の街並みは頭だけではすでに思い出せない。一方、受楽の一角は比較的残っている印象があるがどうだろうか。

限定メニュー「カレーチャーハン」

 同様、駅のそばの店では、ラーメン店「ろくはうす」もカレーDaysには参加した。再開発のエリアからは外れているが、工事の槌音は響いているだろう。
 ろくはうすはカウンターのみで、何というか、カフェのような雰囲気もある。白みそが人気で、「カレー味噌ラーメン」を注文したところ、500円もキャッシュバックされた。こうした試みがあると、街をあげてのイベントっぽさが出る。

ろくはうす「カレー味噌ラーメン」

 ろくはうすが入る前、ここは「キッチンなか川」という洋食店だった。ほぼ向いに「小山病院」があり、家族が検査を受けたことがある。幸い結果に問題はなくて、安心して食事したことを、店が変わってからも思い出す。
 病院の敷地内には、湘南電車のレプリカが置かれていた。今は病院が向いに移り、代わりに集合住宅が建っている。レプリカも撤去され、移設や保管の手間を考えれば、そのまま廃棄されたように思う。
 その道を進んで行くと、以前なら小さな坂道につながり、檀一雄宅の門塀が見えた。道路拡大に伴う取り壊しにあい、すっかり様子が変わっている。
 個人の邸宅であるし、今さら書いても詮の無いことだが、ライスカレーが並べられたという庭の芝生や縁側を、檀一雄や坂口安吾ファンなら、一度は見たかったと思う。
 今年になって、旧檀一雄邸のそばに「檀一雄文学顕彰碑」が完成した。彫られているのは、檀一雄がときおり色紙などにしたためた句だという。
「何のその  百年後は 塵芥(ちりあくた)」。
 句碑は歩道の際に建てられ、今ではその脇を悠々とバスが走っている。

「カレーDays」の初日はすっかり雨でした


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