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何にも役に立たない。でも生きるために必要だ。

「なんで描いたんだろう。描いても何も役に立たないのに。」

自分だけが面白いと思ったものを思い続けるのは難しい。
目を離した瞬間には消える。
その輪郭がぼんやりと残り心の埋まらない隙間の違和感は、喉に刺さった小骨のように残っている。

毎年小学校の夏休みになると図画工作の宿題が出た。
使わなくなった牛乳パックとペットボトル。生鮮食品のトレイを家中からかき集めて、宇宙船やバイクを作った。

作るたびに母からは「よう器用に作んなぁ、すごいなぁ。」と褒められた。
作った作品は校内で優秀賞をもらって展示された。

将来はロボットを作る人になりたいと、卒業時の文集に書かれていた。
でも、そんな気持ちは跡形もなく消えてしまった。

家庭の危機や、友達からの目線、中学生になって訪れる定期テスト。
何かに打ち込むよりも、少し斜に構える方が大人でかっこいい。
そんな思春期の同調圧力と、現実の板挟みで、昔好きだったことや夢なんて、目を離した瞬間に消えてしまう。

十数年経って訪れるのは普通に働く量産的な人生。
頑張っている人は特別な才能のある人で自分とは無関係。

目の前の現実と幼少期の記憶の断片をぼんやりと感じながら、役に立つこと、現実的なことで塗り固められた人生を歩んでいく。

ルックバックはそんな誰にでも訪れる挫折と後悔。役に立たないと諦めた自分の本当に大事にしたかった衝動のような想い。そんな原点を振り返る大事さを教えてくれる。

学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートから絶賛され、自分の画力に絶対の自信を持つ藤野だったが、ある日の学年新聞に初めて掲載された不登校の同級生・京本の4コマ漫画を目にし、その画力の高さに驚愕する。以来、脇目も振らず、ひたすら漫画を描き続けた藤野だったが、一向に縮まらない京本との画力差に打ちひしがれ、漫画を描くことを諦めてしまう。

しかし、小学校卒業の日、教師に頼まれて京本に卒業証書を届けに行った藤野は、そこで初めて対面した京本から「ずっとファンだった」と告げられる。

漫画を描くことを諦めるきっかけとなった京本と、今度は一緒に漫画を描き始めた藤野。二人の少女をつないだのは、漫画へのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる…。

ルックバック あらすじ

諦めて普通に生きる

人よりできると思っていたこと。すごいねと褒められたこと。それが自信で自分自身だったのに、簡単に自分を超える存在が現れる。自分の根底が揺らいで、恥ずかしくて、悔しくて、手放す。
それは自分には必要なかったと納得させる。
そうやって普通に生きるほうが賢い。それが大人だと言い聞かせて生きていく。

でも、大人になると、そうして手放したものが無性に欲しくなるのだ。

資本主義のルールの中で、お金を稼ぐこと以外の価値はあまりにも低い。スポーツ、創作、表現、音楽、お金を直接的に稼ぐ以外の能力は簡単に駆逐されてしまう。

「いつまでそんなことやってんの?」
「そんなことして何の意味があるの?」

確かに、無意味なのかもしれない。
でも、人生は生き延びるためだけのものなのだろうか。
無意味で役に立たないと言われても、自分にだけは意味のあるものが必要なのかもしれない。


灰色の世界

周りから見たら成功したように見えること。夢を叶えたと思われる。
苦労して、努力して、自分のやりたかったことで、一定の成果を出した。

でも、本当に自分がやりたかったこと、欲しかったものはこれなんだろうか?と、ふと思う。

自分のやりたいことは、一人だけでできるわけじゃない。会社に所属すれば会社や上司の意向があり、独立してもクライアントの意向がある。
漫画を描いても編集や読者のランキングに左右されて、本当に描きたかったこと、本当にやりたいことからズレていくのかもしれない。
それは、この映画に限ったことじゃない。

人生の大半を注ぎ込んで得たお金や名誉、成功感。
それが本当に手にしたかったじゃないときの絶望感は一体どれほどなんだろうか。

「なんで描いたんだろう。描いても何も役に立たないのに。」

自分が続けていた理由がわからなくなって、情熱が失われそうになる。
成果の出ない日々、やりたかったこととのズレ、理解されない周囲の目。

今の世の中で直接的にはビジネスに繋がらないような、”役に立たないこと”では情熱を持ち続けるのは難しい。

でも、本当は子どもの頃に感じて、諦めてしまった原点が、誰しもにあったのだと思う。

その最初に感じた原点の衝動のようなものを失わないようにしたい。

無理に諦めて手放さなず、やりたいことがすり替わらず、ただその原点を失わないように。時には背中を見て、自分の原点を振り返ることが大事だ。

子どもの頃に感じていた満足感ややりたいと思った衝動には、お金も名誉もプライドも混じっていない。純粋な衝動のようなものがあった。
何かを得るための手段ではなく、それに取り組むこと自体が幸せで、それを日々の生活で感じて生きていければ幸せなのかもしれない。

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