1日は24時間。でも昨日のことを語るのに、24時間かからないのはなぜだろう。
1日は24時間なのに、昨日の出来事を振り返るのに24時間もかからない。
24時間どころか5分語るのも難しい。だとすると1日の出来事はわずか0.3%程度に圧縮されていることになる。
残り50年ぐらい生きるとすると、自覚的に生きられる時間はわずか2ヶ月程度しかない。
ここには何が起こっているのだろう?
24時間が5分になる理由
人は常に意識的に捉えているもの、注意を向けているものしか捉えられない。
人の認識には、意識して見ている・記憶している”主体”となるものや出来事と、その主体となるものや出来事の周辺にある”背景”となるものが存在している。机の上のコップに注意を向けたときには、コップが主体になり机や部屋の壁などは背景として認識される。そのため、注意の向いていない背景の存在を人間は認識できず、1日24時間は認識や注意を向けている5分程度の事象に圧縮される。
だからこそ、この背景の存在に対して自覚的になることで、人生の時間を伸ばすことにもつながっていく。
また、この背景の存在に多くの人は気付くことができない。意識を向けられない。逆に言えばこの存在に着目することができれば、人とは異なる視点や、独創的なアイディアを生み出すことができる。
人とは異なる視点
人とは異なる視点を持つためには、人が気付けないものや無意識的なものを、いかに自覚的に捉えるかが重要になる。
独創的なアイディアを生み出すためには、
・人が気づいていない無意識の出来事に着目する
・AとBの間につながりを見つけて新しいものに昇華する
ことが大切になる。
何かの物事を認識する行為の裏側には、イメージのネットワーク構造が存在している。コップという対象物を捉えたときに、それをただコップと片付けてしまいがちになるが、解釈を捉え直してみるとより深い捉え直しができるようになる。
このイメージのネットワークの深層や広がりに目を向けることが大切になる。これらのイメージやアイディアにつながりを見つけて新しいものを生み出すことが独創性で共感性のあるものを生み出すことにつながる。
流行やヒットするものには、驚きや新しさは感じつつも、どこかしら共感性が存在している。目新しすぎると人は恐怖や違和感を感じる。
自動車が開発されたときにより早く走る馬に例えられたり、iPhoneもパソコンではなく電話と捉えることで、新しいものなのに親近感や共感性が生まれた。
こうした目を持つためには、知識を高めることや自分の好きなものを極めることで解像度を高めていくことが重要になる。
古いもの、見逃されていたものに新しさを見出す
画期的なイノベーションも独創的なアイディアも、ゼロから全く新しいものが生まれるわけではない。むしろ、新しすぎるものは理解するのが難しい。むしろ、新しさではなく、古いもの、見逃されているものこそ価値があるのかもしれない。
過去に普及していた銭湯というものをそのまま復活させず、銭湯の面影を文化にする。その物事をそのまま転用するのではなく、抽象化やイメージ化のようなプロセスを経ることで面影として受け継いでいく。そこには歴史や時代や広く普及した文化としての力があるため、新しいものに姿や形は変わっても大きな力を持つようになる。
広く普及してきたもの、当たり前にあるもの。それらが続いてきた輪郭のようなものや面影のようなものを捉え直すことが大切なように思う。
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