ねぇ、今後どうしていきたいの?
「今後はこの会社で成果をあげて部下を持ちたいですかね…」
この質問がきらいだった。
将来や今後のことなんてわからないし、やりたいことなんて特にない。
自分の想いじゃなくて、その方法しか知らないからそう答えてるだけ。
将来の不安を痛感するから、先のことを聞かれるのは苦手だった。
新卒求人媒体を扱う大手企業で勤めていたとき、半年に一度のキャリア面談があると逃げ場を失っていくように感じた。
定まらない目標を掲げさせられて、そのゴールから逆算して進まざるを得ない状況。
営業職でそこそこの結果を出して、次は管理職になるんだよね?という圧力。
もともと営業がやりたいわけじゃなかった。
量産的な文系大学生の行き場は営業しかないと思ったから選んだだけ。
管理職になりたいわけじゃないけど、キャリア的にずっと平社員でいられないから、そう伝えるしかなかった。
「将来、起業したい。」
そんな心の底からやりたいことのある人が羨ましい。
特別な才能がなくて、大きなことを成し遂げたこともないから、これが当たり前、という周りの大きな声に従ってしまう。
疑問は感じない。
でもどこかでズレは感じていたのかもしれない。
いつまでこの仕事を続けるんだろう?
今の仕事で何が身についたんだろう?
そんなことをぼんやりと考えていると、ふとオフィスの中でホワイトボードを使いながらMacbookを片手に議論を交わしている企画やマーケティング、新規事業などの仕事が目についた。
そうした仕事を羨ましく思いながら、毎日アポを取るために電話をかけていた。
「営業電話はお断りです。」
毎日100コール。
アポをとって営業を繰り返していく。
特別な才能も研鑽もしていない自分には量産的な生き方しかできない。
そうやって自分の中にある小さな声から目を背けていたのかもしれない。
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そんな風に考えていたことを、この”小さな声の向こうに”を読みながら思い出した。
簡単に人は自分の中の小さな声じゃなくて、つい顔の見えない不特定多数の大きな声に流されてしまう。
何かやりたいと思ったときに、いつも大きな声が聞こえてくる。
今の仕事で成果出してないのに新しい職種なんてできるわけない。
30代から未経験での転職は厳しい。
結婚して家族もローンもあるんだから不安定な生き方なんて今更できやしない。
そうした周りの大きな強い声に従ってしまう。
何かを諦めて生きていくことは、大人になることで要領の良い生き方なのかもしれない。
でも、これしかできないと思い込んでしまうことや、このままずっと同じことの繰り返しという閉塞感が、人生に苦しさや生きづらさを生んでしまう。
だからこそ、小さな声に耳をすませることが必要だ。
周囲の雑音や喧騒から離れて、そっと自分の内面の声を聴いてみる。
そうすると本当に自分に必要なことや、やりたいことに少しずつ気づけるようになる。
人生にとって絶対に残しておきたいもの、大切にし続けたいものは、驚くほど少ないのかもしれない。それは必ずしもモノに限った話ではない。
考え方や価値観、常識だと言われるようなことも、大事だと周りがいうから
そう思っているだけで、自分にとってはそうではないことも多い。
僕にとって、必要以上にお金があることや家や車を持つことはあまり大きな価値がなかった。
それよりも、日々の仕事に創造性や取り組みがいのあること、確実に何かが前進していると実感を持てること、毎日の暮らしの中にゆとりや小さな喜びを見つけること。そうしたことのほうが重要だと思った。
本を読んで新しいことを知って世界を広げたり、
急須でお茶を飲んで暮らしの呼吸を整えたり、
何気ない日常で心が動いたことを写真に切り取ったり、
子どもの成長を見て人類の進化の過程に思いを馳せたり、
そうした世の中にとって意味がなくても、自分にとって意味のあることを大切にしたい。
でも自分にすら意味のない大きな声に従うのは、自分の生きる意味を見失ってしまう。
自分の中の小さな声はそのことをよく知っていて、それに従うと今後やりたいことや何をするのが心地よいかわかるようになってきた。
そうするためには、あえて先に手放すことが大切だと思う。
やらないことを決めたり、環境や時間の使い方を変えたり、必要なものを選りすぐることが重要だ。
僕にとってそれは、お金であり、安定した働き方や肩書だったように思う。
改めて「今後、どうしたいの?」と今の自分に問いかけてみると、
先のことはわからないけれど、今自分が興味を感じている小さな声に素直に生きることは、人生における確かな指針になった。
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