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人生が変わる瞬間
ほんの「ささいなこと」だ。
そんなささいな出来事で人生は大きく変わる。
「人生を変える瞬間」
とは僕は言っていない。
「人生が変わる瞬間」がある、
と僕は言っている。
どんなに努力してもがいても、結果としてあまり変わらない事がほとんどである。タイミングや時代、環境がドンピシャリと合わないと、どうしようもないことが実際問題ほとんどである。
一方で、別になんてことは無い、本当になんて事はない事が、人生を大きく変える。
そういう瞬間は、何気ないかもしれないが誰にでも存在する。
例えば、僕が小学一年生の頃。
たまたまリビングのテレビに映っていたサッカーの試合を僕は指さして、
「サッカーやってみたい!」
と言った。その一言を両親が真に受けてサッカースクールに僕を連れて行った。
それから12年、僕はサッカーをした。
小学一年生の何も考えていない僕にとっては、
「プリン食べたい🍮」
ぐらいのノリで言った言葉である。
それが良くも悪くも僕の12年間を決めた。
あなたが長年やっている事も、案外始まりは僕と同じ「ちょっとしたキッカケ」だろう。
予想もしない人との出会いで大きく変わることもある。
例えば、長年仲良くしている人がいる。それも、
たまたま同じ時期に近くにいて
たまたま同じような趣味を持っていて
たまたま一言二言の会話をする縁があって
今の関係がある。
案外そういうものらしい。
自分のこれまでを振り返って今になって考えると、人生が変わる瞬間は突然やってきている。
予想もしないささいなこと。
もっと言えば、
「こんな事で人生変わらんやろ」という、当時は気にも止めてない事の延長線で、ふと後ろを振り返った時に「今思えばあれがターニングポイントか…」というようなことが人生を変えている。
そのため、人生が変わる瞬間に
「きた!これが人生を大きく変える!」
とその場で認識できるということはまず無い。
気がつけば、
人生を変える瞬間に出会っていて、
人生を変える人物に出会っている。
例えば、いま、あなたは挫折の真っ只中にいたり、失意のどん底にいたりするかもしれない。
そして、勝手に涙がこぼれる事があるかもしれない。
そういう人に伝えたいのは、
悲しむだけ悲しむことがあってもいい。
焦って動こうとしなくてもいい。
無理に元気よくなろうとしなくていい。
そのままのあなたで大丈夫だということだ。
僕にもそういう絶望の真っ只中のときがあった。
そのときは、ほんの一瞬だけ、悩まなくてもいいと思えて寝れる瞬間があった。当時は不規則な生活で、いつ寝ていつ起きるかどうしようもない状態だったのだが、たまたま朝の6時に起きた。そして、たまたま快晴で「部屋の中いるの疲れた」と思い、めっちゃ天気良いし外に出てみるかと思った。外に出たらたまたまランニングしているおじいちゃんを見かけて「自分も1歩踏み出さないと!」という勇気を貰うことができた。
そして、小さな1歩を踏み出すことができた。
完全にたまたまで、他の人が見たら大したことの無い出来事である。そんなささいなことが僕の人生を大きく変えたのである。
多分人生ってそんなものなのだと思う。
上手くいっている人も、たまたま人生が変わる瞬間に出会って、その惰性で生きているだけなのだろう。
今バリバリ行動できている人も、たまたま努力しようと思える瞬間に出会って、それの惰性として努力の習慣が身についていたりするのだろう。
あなたの人生が変わる瞬間は明日訪れるかもしれない。
もしかしたら、1時間後に突然来るかもしれない。
ひょっとすると、いまあなたが苦しんでいるこの時間こそが、あとから振り返ると人生を変える瞬間なのかもしれない。
もちろん違うかもしれない。
しかしながら、人生が変わる瞬間が次の瞬間に来るかもしれないという事は誰も否定できない事実だ。
だから、希望はいつでも持てる。
そして、無理せずその時を待てばいい。
今日の午後、運命が変わるかもしれない。
1週間後のお昼、運命の出会いをするかもしれない。
そしていま、
あなたの人生は大きく変わっているかもしれない。