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朝が怖い

ここ最近は、朝が怖いです。怖いんです。朝が来るのが怖いのか、朝そのものが怖いのか、眩しすぎる太陽が怖いのか、何もしていないのに悠々と惰眠を貪ることにおびえているのか。自分でも何が正しいのかわかりません。そもそも恐怖という感情のルーツを掘り下げることに意味はあるのでしょうか。抽象的だからこそ恐怖を感じるのではないでしょうか。感情の話はここではどうでもよくて、とにかく最近の僕は朝が怖いのです。だから外が闇の内はずっと目をあけておいて、朝がやってくるのを身構えていなければなりません。その間に何をしているのかと言えば、アニメを見るかゲームをしているか本を読んでいるかインターネットをしています。とても有意義とは言えないでしょう。社会で生きている友達は愚か、親にだって話したくないです。だって、そうしたらこの世の終わりみたいな顔をして激しく言及されて、精神も身体もこの上なく貧弱な私は完璧に死に至ることでしょう。いや、そうなることはきっと社会(またはこの世界の理)が許してくれない。死なんて優しい運命をたどることはできず、できるだけ死から遠い苦しみを延々と与え続けられるかもしれません。だけど、それよりも何よりも、朝が怖いのです。

でも、朝はためらうことを知りません。待ってもくれません。季節によって多少は前後することはありますが、どれだけ僕が震えていても朝はやってきます。さっきまでの闇は綺麗に祓われ、どんどん白んできて、ついに煌めきが発生します。これは何者も何人も抗うことはできません。自然の摂理は不変の条理なのです。僕がどれだけの腕力とか権力を得たところで全くの無意味なのです。だからこそ、抗うのでしょう、抵抗を試みるのでしょう。それだけが僕が夜を生きているというしるしになってくれるのです。この世界を生きているというしるしにもなってくれるのです。希望も観測できない暗闇の中に生息する僕の持てる唯一のしるし。

今日も僕は勝てそうにないです。

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