人間というもの: 優秀さを誇りたがる

人間は優秀さを誇りたがる生き物である。
たまたまテレビを視てしまった。クイズ番組だった。賑やかだったのでふと手を止めてしまったのだ。

正解か不正解かで一喜一憂する演技に白けはしたが、この人たちが知ってる知識は誰かの知識を記憶しただけで、盗んだ知識じゃないかと思えた。

自分の発見を競うのならもう少し視ようと思えたが、他人の知識をたくさん覚えて何がしたいのだろうと思うとたまらなくなって電源を切った。

いまだに、『頭がいい=勉強ができる=記憶力がいい』という思い込みに埋もれた高学歴の人たち。
それがなければ自分の存在意義もないのかもしれない。

頭が悪いと劣等感を持つ人にはもう少しそういったことを考えてほしいと私は思っている。
頭が悪いんじゃなくて考える習慣がないだけだ。

記憶力を頼りに知識を詰め込んでみてもそれに見合った経験がなければ知ってるとはいえないのだ。

資格マニアの人を頭がいいと言うだろうか。
腕のいい料理人を頭が悪い人だと言うだろうか。
態度の悪い医者を頭がいい人だと言うだろうか。

ほとんどの人は人間を観て「あの人は…」と評価するのではないのか。

少し無理して考えればわかることなのに、こんな簡単なことを乗り越えることができないのが人間だ。

優秀さを誇る人とはどんな人だろう。また、優秀さを誇ってもいい人とはどんな人だろう。考えることはまだまだある。
そうしているうちに優越感や劣等感は、内分泌系の働きに影響を受けた一時的な思い込みであって、実は何もしてくれないことに気づく。

他人の知識を記憶して誇る人をすごいと思うよりも、何か事があった時に、柔軟に対応しながら真実を見極めようとする人を見本にする方が役に立つ。

真に優秀な人に出会うことが滅多にないのは、誇ることをしないからではないだろうか。