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哲学: 写実的に生きる

何かを表現するとき、見る側に対する何らかの衝撃という媚びが必要のように感じる。
「わーすごーい」というわかりやすさのことだ。

生き方にも普通ではなく何かの衝撃を求める傾向にあるようだ。衝撃があったらあったで悩むくせにだ。

ぼくはそんな虚飾はいらない、写実的でありたい。
「そのまま」から何を見出すかということに興味がある。
それは、あまりにも普通で面白くないかもしれないが、
一瞬を切り取ったものより「そこに在る」ものを表したいのだ。

どう生きるかを考えたときに「○○みたいになりたい」と思うかもしれない。
しかし、できることは、今ある自分のもので可能なかぎり何かを試すことしかできないものだ。
自分の観る世界が「世界」だ。そのことは信じていいと思う。

男が語る世界と女が語る世界が違うように思えるのは性質が違うからだ。どのように観えるかは心に依存しているのではないだろうか。

消費社会において、宣伝やマーケティング、イメージつくりがあふれている。
「無いものを在るかのよう」に知恵を絞る。それらに影響されない日はない。

それらは虚構であり本来の姿は別のところにある。つかんだと思って手を開くと何も無い。騙されたのだ。

つまらなくてもいいから、生きることくらい写実的でありたい。そこから何を見出せるのか、そこで、何を、どうすればいいかを考えたいのだ。先入観などいらない。

それを写実的にとらえるのはぼくだ。自分の感覚を信じたいのだ。納得して生きたいのである。