頑張っている人を探す
ぼくは頑張っている人がすきだ。
頑張っている人は、だいたいが孤独だ。それは頑張らない人が多いから孤独になるのだ。
「なるようにしかならない」といって何もしない人生もあるだろう。その方が良い人生だという人もいるだろう。
しかし、頑張る人生の方が、良くはないかもしれないが「価値」があると断言できる。
なぜなら、頑張る人生は、これからを生きる人への見本になるからだ。その反対は、誰の見本にもならないものだ。
人間は一人で生きていくのではなく、コミニュケーションをとって生きる生き物だ。
群れでもなく、リーダーのもとに生きるのでもない。横並びみたいなものだ。その人間に役に立つことは価値があるのだ。
頑張っていると、そこから生まれるものは、頑張らない人と比べると、ちょっとだけ違う。抜きん出るほどの違いはないかもしれない。
そのちょっとした違いには価値がある。誰もやらなかった経験から生まれたものだからだ。そのちょっとした違いが人類を前進させるかもしれないのだ。
このことは、頑張っている人なら理解できるはずだ。
また、人間としての理想を追い求めると孤独になる。そうする人が少ないからだ。だから理解されることがない。
人間としての理性的に「正しい」ことは、通常では、「間違っている」になることもある。しかし、「正しい」に信頼を置いて、それを貫くことは価値があるはずだ。このことも頑張っている人なら理解できるはずだ。
ぼくは頑張っている人を探すが、なかなか見つからない。宝探しの様だ。
頑張っている人は、自覚がないので、自分で「頑張っている」とは言わないので、余計にわからないのだ。よく観察して見つけ出すしかないのだ。
「自分は頑張っている」と言う人はたくさんいる。しかし、ほとんどが偽物だ。今日も頑張っている人を探している。