見出し画像

攻撃したがる心を検証

ぼくは小さな赤い車に乗っている。それには理由がある。


ぼくは、人間には、ちょっとしたことで攻撃に転じる本能があるのではないかと思っている。

最近、よく言われるのが「あおり運転」、赤い小さな車ならあおられそうに思える。

これを使うと、人間の攻撃の有無を検証するのにはいいのではないかと考えた。

想像だけでは真実はわからない。簡単にいえば実験だ。自分を餌にしてみた。


で、どうなったかというと、まあまあ攻撃される。


ぼくには意外だったのは、女の人のあおり運転だ。三十代、四十代の人が、けっこう仕掛けてくる。
赤色の小さな車なので、女の人が運転していると思っているようだ。そういった人には、ルームミラーを手で動かして視線を合わせてあげる。そうすると、車間距離がスッと開く。


高齢者マークをつけた人もあおってくる。
窓を開けて、腕を出して男ですよとアピールしてあげると車間距離はスッと開く。


当然ながら大きな車は、あおり運転が好きなようだ。「どけ」とばかりに車間距離を詰めてくることが多い。もちろん、よけませんけどね。そうなると、しつこくついてくる。必死になる。かわいそうなので、よけてあげると、嬉しそうに猛スピードで抜いていく。なぜかお礼がない。少し寂しい。青いポルシェの人、優しくしてくださいね。


ただ、こういったことが起こるのは、二時間の運転で一回あるかないかである。逆あおりというのは一切していない条件のもとでだ。


安心してほしい。ほとんどの人は、理性によって運転中に攻撃することはないようだ。


車の運転というのは面白いもので、社会の縮図そのままだと思う。
ベテランも初心者も上手い人も下手な人も、老いと若きも、性差なく、同じ道を走る。上手い人が下手な人をかわし、下手な人はそれでも自分はまともだと思い、初心者は徐々に上手くなるが、次から次へとまた初心者は現れる。
運転の粗い人、慎重すぎる人、いろんな人が入り混じっている。それに対して、どう対応するかが常に問われる。

困ったことに、この状況の中で、「自分は優越である」と勘違いしてしまう人がいることだ。

大きい車が優越ではない。そもそもローンならあなたの車でもない、運転が粗いのは優越ではない、劣等にはいる。小さい車が劣っているのではない、ウドの大木は場合によっては劣等だ。女性の運転が劣っているのではないのだ。ここを勘違いしていないだろうか。

これは社会生活の中でも勘違いしがちなのと同じなのだろう。

それでも車の運転は楽しい。いろんな人を観察できる。自分の心の動きも観察できる。

そんな中でわかったのは、まともな人がほとんどで、ややこしい人に出会った時が面倒だということだ。


そして、ぼくのような妙なヤツも運転している。


もし、街で小さな赤い車を見かけたら、それは、ぼくだ。悪いヤツじゃないので、あおったりせずに優しく見守ってほしい。


今日の知恵は、
「世の中にはいろんなヤツがいるが、ほとんどがまともな人だ」
検証したので確かだ。安心してほしい。