生き方に再現性はあるか
「ワタシから言わせるとね!」
「オレが言わせるとな!」
呑み屋での会話は、こういったセリフから始まることがよくある。
自分の主張は正しく価値があると思っての言動だろうか。果たして、その主張は正しく価値があるのだろうか。
正しさには「普遍的」なものと「個人的」なものとがある。
個人的なものとは、ある時、ある場面で正しいが、一時的なものである。
普遍的なものとは、時代を超えて正しいものだ。
簡単に言い換えると、長続きしない考え方や方法は、厳密に言えば「間違っている」と言われても仕方がない。
アスリートの行うトレーニングは、ある年代、年齢、状況においては「正しい」のかもしれないが、「長続きするか?」と問われれば「長続きしない」と答える。
正しいとは、そういったものではなくて、人間全体に効果的に当てはまり、普遍的なものでなければならない。
誰もできないようなトレーニングや仕事をこなせるから「自分のやり方は間違っていない」と主張しても、賛同は得られない。
「じゃあもういい!」と言ってしまえば、その正しさの行く末は「じゃあもういい!」となるやり方だということになってしまうのだ。
自分の見つけ出した正しいやり方というのは、特別なことでも、無理することでもなく、ごく普通に、誰でも、無理なくできるものを探すべきなのではないだろうか。
どんなに良いことだと思えても、長続きしない、無理がある、健康を崩す、人にお勧め出来ないという条件に当てはまってしまうなら、別の考え方を身につけるべきだと思う。
怠けるのは論外だけれど、頑張り過ぎるのも問題なのだ。
良いものは、他の人が試してみても「なるほど」と思えて、再現性のあるものだとぼくは思うのだ。