嘘はSNS?メディア?

兵庫県知事選挙は斉藤元彦知事が再選した。これに関していろんな人がいろんなことを言っている。SNSの情報に引っ張られた兵庫県民はバカだの情報弱者だの言う輩もいる。「だってそうやん!」と言われそうだ。

果たしてそうなのだろうか。「斉藤氏はSNSをうまく使った」とメディアは言うがこれは偽情報だ。
彼のxを当初から見ていたが「今日は◯◯に来ました」程度の報告だった。

メディアを信じきっている人は「何でSNSなんか信じるのか」と言うが、ではなぜメディアなら信じられるのだろうか。

多くの人は「権威」に弱く自分の信じるに値する情報を一般人よりも強く信じる傾向にある。しかし、負けている戦争を「勝っている」と言った歴史は明らかに存在する。

なぜ信じたかは「情報の少なさに由来する」と言っても大きな間違いではないはずだ。
選択肢の少なさは私たちを不安にさせる。「本当にそうなのか」という疑問に答えられないからだ。

メディアが正にそうであり訂正することも更新することもない。
現場での事実と報道が違っていても取材することもなく、間違いをそのまま言い続ける傾向にある。これは正当化主義に由来するものではないかと考えられる。

斉藤元彦氏は「おねだり知事」と揶揄されるが、現場からはそういった事実はない。六月の時点ですでに「ニュアンスすら確認されなかった」とまで言われていてもメディアはそのことを言わない。

しかし、SNSは嘘もあるが本当もある。嘘はコメントのツッコミによって削除されるか訂正される。メディアはこのことは全くない。テレビ局に苦情を入れようとも主張を変えることはない。

「斉藤知事は知事会に出席するのでは百条委員会には出席出来ない」とメディアは切り取り報道するが、SNSでも同じように言うが、すぐさま「知事会は当初からの日程である」と言い「百条委員会はわかっていてその日に被せてきた」とツッコミが入る。
それがなければ斉藤氏は「当選したらほらね」といった印象をもたれてしまうはずだ。
SNSのツッコミはその意図を覆してくれる機会にもなるのだ。そして、メディアにはそのような意図が本当にあるのではないかと感じてしまうのは私だけではないはずだ。
そもそも「SNSは嘘ばっかりだ!」と言ったのは誰だろう。マスメディアである。そして「メディアは嘘ばっかりだ!」と言ったのはSNSである。もっともらしい話はどちらだろう。
そういったことを私たちの体験は学習し更新するのである。また、マスメディアが言っているようなSNSでの煽動やマーケティング技術は大して奏功しない。なぜならSNSには「ツッコミ」というものがあるからだ。嘘はすぐにバレるということだ。

反対にマスメディアには嘘を指摘する機能がないことは問題なのである。コミュニケーションがとれないということだ。
そして、メディアに出てくるコメンテーターと言われる人たちの経歴はよくわからない。肩書だけでなく背景にある思想や利益が全く示されていない。

もしかすると何の専門性もない人の意見が専門性があるかのように思わさられることもあるのではないだろうか。

SNSの多くは素人であるが、だからといって全てが与太話ともいえないのだ。
情報であろうと商品であろうと重要であればあるほど、高価であればあるほどたくさんの情報から選択しようとすることはどんな人も経験する。
「なぜそれなのか」という答えを求める心の働きは自動的でもある。選択肢が少ないと印象操作に扇動されてしまうだろう。
ガセネタを何度もつかまされているとヒトは学習するものである。一つの嘘を隠すためにたくさんの嘘をつかなければならないことは誰もが経験するが、それは情報を選択する上での判断材料になる。

「SNSなんて嘘情報ばかりだ!」と言っても「その情報は本当だろうか」と推論が働き出し、その能力は向上していく。
もうメディアや新聞だけが正しくてそれ以外は偽だという話は通用しない。それを本当かどうかを評価されるからだ。

メディアがSNSを乗り越えるか共存するかの方法は「情報は更新する」「間違いは訂正する」ということを徹底して周知させることだ。そしてネタ元をしっかりと提示してコメントする人の背景を公開することである。

ま、こんな話をしてもメディアの人は「黙れ素人が!」と一蹴するだろう。しかし、私は何も困ることはない。

noteを利用している人のほとんどが言葉から真偽を推理する力が高いと信じている。言葉は嘘を全て覆い隠すことができないことを知っているからだ。