人間というもの: 動機について
人が意思を持って行動するには動機が必要だが、その動機について考えると意外につまらないことだったりする。
ほとんどの動機は利己的な遺伝子の働きに根付いたものだ。生存と繁殖を有利にしたいわけだ。
「何のためにそれを?」と言う問いの答えでもある。自分の利益にならないことはしたくないというものだ。
noteに投稿する動機を考えてみてもわかるはずだ。私もいろいろ考えて始めた投稿は今では言葉の排泄が動機でしかなくなった。
やる気を失ったわけではないが、何かを求めるといった期待を取り除いた結果だ。
今のところ気分よくやっている。
学んだことを咀嚼して溜まった言葉を排泄するのは案外面白い。
誰かに読んでほしいとかはなく、他人の評価も気にせず、自分の見たもの、感じたもの、信じたものを言葉に表す。共感も求めないし理解を求めることもない。
私が投稿する動機はリアリズムを表すことのみとなった。
私の利己的な遺伝子の働きを満足させることが動機ではなく、その働きをできるだけ抑えることが動機となったのだ。
ややこしい動機とはもうおさらばできたのではないかと思っている。