26作品目 歌舞伎「千成瓢薫風聚光 裏表太閤記」
どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。
淹れながら思い出したエンタメ26作品目です。
今週は歌舞伎座で上演中の「裏表太閤記」を書き留めておこうと思います。
昼の部は当代の團十郎さんが十三役の早替えで話題になった「星合世十三團」を、夜の部は今回観にいきました「千成瓢薫風聚光 裏表太閤記」を上演していました。
團十郎を襲名してから長らくの経つのにまだ観に行っていないので、昼の部もいいかなと思ったのですが、なんせ夜の部の出演者が「松本白鸚」「松本幸四郎」「松本染五郎」と高麗屋三世代が集合。
白鸚さんが御年81歳と言うことを考えると、この先あることじゃないかもしれない、と思いたつのです。
お目当てに対して、年齢で「最後かもしれない」と言うと、失礼だ、と言われてしまうかもしれません。しかし、「いつか観よう」と思っていた方々がついぞ観ることなく、亡くなってしまう経験を、悲しかな、私は何度もしてきました。
小三治師匠はもう一度観たかった、宮沢章夫さんの舞台は一度観ておきたかった、小澤征爾さんの指揮はそんなに他の指揮者と違うのだろうか、もう絶対に観ることが出来ないのです。
そんなわけで、昼下がりの銀座は歌舞伎座へ。
新しくなった歌舞伎座が初めてだったので、変に真新しい建物のよそよそしさがなれず、東銀座駅の地下に広がる田舎の道の駅みたいな土産物屋もしっくりこない。
「太閤記」と言うからには、物語の主軸は豊臣秀吉なのだろう、すると、「千成瓢」とは家紋のことだろうか。
冒頭、市川中車(香川照之)さん演じる松永久秀(弾正)が有名な平蜘蛛の茶釜と爆死をするシーンから始まります。やっぱり、中車さんの死に迫った演技は凄みがありました。
物語の序幕となるこのシーン、松永久秀が「信長は平家の血を引く、明智光秀は源氏の血を引く」と家中の者に足利将軍家の白旗を明智光秀に渡すように託すシーンがあります。
家柄も謀反の根拠になるなんて、いかにも古典的な流れです。
それに加えて、源平の合戦から400年近く経つというのに、平家の血だ、源氏の血だ、と言うあたり、なんだか昨今の世界情勢にも通ずるところを感じます。ユダヤ教だ、イスラム教だ、キリスト教だ、と何千年も昔の因縁に囚われている、今の様に影を見ます。
さて、次の場では尾上松也さん演じる明智光秀が主君信長に反旗を翻す場です。ここは明智光秀が哀れになるほど、酷い仕打ちを受けています。
森蘭丸に殴られて額から血を流したと思うと、タライで酒を飲まされます。それでも、出陣の役目が欲しいと懇願する光秀から、信長は坂本の地を召し上げて、まだ制圧していない敵の領地を与えます。
いよいよ耐えかねた光秀が、信長に刃を向けます。
題名の「裏」とは明智光秀の悲劇、「表」とは豊臣秀吉の栄華の表裏一体を指しているのでしょう。
愛宕山での織田信忠と光秀の妹で信忠の正妻お通の悲恋の別れの場があって、序幕が終わります。
右近さんの女方、本当に見事です。
35分の休憩を挟んで二幕は中国地方、毛利討伐に出陣中の秀吉が毛利と和議を結んで、「備中大返し」を経て、山崎の合戦の場までを続きます。
二幕冒頭の場は和議を結びたい毛利家軍師、鈴木喜多頭重成とその息子孫一の再会と最期の場です。
重成を松本幸四郎さん、孫一を染五郎さんと、本物の親子で演じます。二人の隈取り顔がそっくりなこと。途中、重成の「いい親を持ったな」と言うセリフには客席からも笑い声が湧きます。そりゃ実の父親が実の息子に言うのですから。
しかし、この場は笑っていらるほどでの話ではありません。
秀吉と和議を結びたい重成は、息子孫一に、自分の首を秀吉に持参して、和議を進めるよう言いつけます。これには奥方も必死に反対し、孫一も抗いますが、重成の毛利を思う気持ちは強く、最終的に果てます。
孫一が秀吉に首を持参しようとすると、奥の間から「その必要はない」と声がするや否や、襖が開いて、秀吉、一堂が並んで、今の話は聞いていた、と和議を結びます。
さっきまで重成だった幸四郎さんがすっかり秀吉役への早替わりは見事でした。
この場は義太夫の語りもあって、その迫力も素晴らしかったです。
秀吉とそれに供して兵を引くのを見届けるために孫一は、途中、大きな荒波に揉まれます。それを鎮めようとせり上がって、登場したのが白鸚さん演じる大綿津見神です。
船は空を飛んで琵琶湖に着岸という、なんとも歌舞伎的な展開。
三代が揃った記念碑的な場でした。
ここで一旦幕が閉まります。
秀吉の帰京を聞きつけると、客席を足軽たちが縦横無尽に駆け回る演出も。その数は数人なんてものではなく、私がいた一階席の通路は隈なく、二階席、おそらく三階席まで、目の前で殺陣が見れる臨場感。
そして迎えた、秀吉が光秀を討つ、大滝の場。
次に幕が開くと、なんと目の前には本水の滝、つまり、本当に水が流れているのです。
幸四郎、松也、と花形役者が滝の中を行ったり来たりする、大立ち回りは見事な工夫でした。
さて、大詰は趣向を凝らして、西遊記の天界の場です。本筋とは全く関係ありませんが、今でいうパントマイムのような、猿楽的な場でとても愉快でした。
天帝しか乗りこなせない馬を猪八戒、沙悟浄が率いて、孫悟空が乗りこなしてみせるというのです。
軽妙で滑稽な動きやたわいもないやり取りとがこれまでの緊張感の張り詰めた場とは真反対、まさに「緊張と緩和」です。
暴れるだけ暴れた孫悟空は天帝より、黄金の国日の本、一国を与えられ、日の本へ旅立ちます。幸四郎さんの「宙乗り」の場です。花道の上をワイヤーで吊るされて、飛んでいくケレンです。
これもまた会場は拍手の大盛り上がりでした。おそらくですが、中国の雰囲気を演出するためか、黒御簾の中では二胡が演奏されていました。
そして、最後の場。居眠りから目覚めた秀吉は「孫悟空も私も猿と呼ばれている」なんてことを言いながら、これまでの生涯について振り返ります。
舞台上に常磐津連中が揃い、役者の、ッダンッダンっダンダンと鳴らす足拍子と相まって、息の合った素晴らしい所作事の場でした。
オペラが総合芸術と言われるのと同じく、歌舞伎も日本の伝統芸能をハイブリットした総合芸術だと言われる由縁を、改めて実感しました。
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