なぜ私は原宿氏の「一番好きなアニソン」という発言に震えたのか


「好きなアニソン」

 普段見ているYotubeチャンネルの「オモコロチャンネル」。動画内で、好きなアニソンを歌えというものがあったが。動画内で原宿氏は絶対無敵ライジンオーのOP曲「ドリームシフト」を歌っていた。それを聞いて私は、仮に自分が「好きなアニソンを一つ歌え」と言われたら何を歌うだろうか、と考えた。
 たしかに好きなアニソンはたくさんある。あるのだが、その時ぱっと思いついたのは、デジモンアドベンチャー02のED曲「アシタハアタシノカゼガフク」、キディ・ガーランドのOP曲「Baby universe day」、インフィニット・ストラトスのED曲「SUPER∞STREAM」だった。なぜかは分からないが、この三つだった。私は三日間悩み、すべてを再度聞いた上で「アシタハアタシノカゼガフク」に決定したのだった。

何かを「一番好き」といえる強さ

 好きなものがたくさんあるのはとても良いことである。それを胸を張って「好きだ!」と言えるのは、もっと良いことである。だがそれに順位をつける行為は、かなりの労力を使う。他のものに比べて、優れている理由を述べなければならず、さらにその理由が自分にとって納得のいくものである必要があるからだ。すなわち、「一番好き」と言えるのは強いことになる。難しさ故に、強いのだ。
  どうしても差が見つけられない場合がある。例えば、二つのものを両方選びたいけど選べない際に私が一番重要視したいのは、思いついたスピードである。

「一番好き」迷子になったのなら

 無意識に人間は、心に残る記憶を常日頃から思い返している。仕事をしている時に、ふと幼少期の自分の発言を思い出したりしないだろうか。その記憶は、心の引き出しのとても開きやすい場所に存在していて、意識の外でもう一度眺めたいと思っているのだ。 その気持が「好き」ということにはならないだろうか。
 もちろん嫌な記憶を消せない場合もある。思い出したくないことを思い出してしまうこともある。ただ共通しているのは、心に刻みつけられているかということだ。だから「好きなものは何?」という質問で反射的にでたものは、深層心理で好きなものに違いないのである。
 だから簡単だ。一番に思いついたものには自信をもっていい。

悩んでいるときも、先に思いついた方が正解に近い

 進路などでどちらに進んだらいいのか、と相談をうけることがある。私はそれに「今話した順番ではなく、先に思いついたほうが自分の心に一番近いよ」と話している。実際に心ではどちらが良いかわかっているけど、相談して指針を示してもらいたい場合が多い。私は他人の進路の責任は持てない。だが、他人に他人自身の責任を負うようにアドバイスを送ることはできるのだ。


 そして相談をうけた最後に、これはアクア様の引用だが、「どちらを選んでもどうせ後悔するのだから、今が楽な方を選んだほうがいい」とも伝えている。

 そう。今が楽なら何でも良いのだ。

いいなと思ったら応援しよう!