夏月
前期の試験が終わり夏休みで実家に帰るため金沢を脱出する友人がいるなか私はまだ金沢にいた。というか帰省する気が無かった。今年の夏の暑さは尋常ではなく炎天下の中、しばらく立っていると気が狂うような気がした。こういう日には冷たい炭酸の飲物が飲みたくなる。私は片町に繰り出し、行きつけの安酒を飲ましてくれる居酒屋で思う存分炭酸を飲んだ後、どこをどう歩いたのか皆目わからないが橋場町の橋の上にいた。橋の下では浅野川が悠々と流れている。見上げれば満天の星空と青白い三日月が見える随分と気持ちのいい夜だった。
ふと主計町に架かる橋を見ると私と同じように空を眺める人がいる。暗くてシルエットになっていたので男か女かわからなかったが、風が吹くと髪が揺れたから女性だとわかった。酔っていたこともあり、どんな女性か見たくなって主計町の橋へフラフラとした足取りで向かう。近づくにつれシルエットに薄暗い色が付き顔の表情もわかるようになった。若い女性だ。恐らく私と齢が同じくらいだろう。
「こんばんは。今日は随分と夜空が綺麗ですね」
酔いとは恐ろしいもので普段、絶対に口にしないであろうことが簡単に口から飛び出す。
「……」
返事が無い。女性を見ると相変わらず空を見上げている。私も隣で星空を眺める。
「ツクヨと言います。月の夜と書いてツクヨ」
「へ?」
ああ、彼女の名前のことを言っているのか。と少し考えてわかった。
「あ、俺は小野川巧です」
ツクヨさんは私の自己紹介に全く興味を示さずただ夜空を眺めている。
「私は月の言葉を読むのですが、今宵はあまり調子が良くないようです」
ふう、と溜息を吐きツクヨさんはとぼとぼと歩き出した。私は月を凝視してみたが夜空にただポカンと浮いているに過ぎなかった。どういうことかツクヨさんに詳しく聞こうとしたが彼女の姿はなく私は橋に1人取り残された。蒸し暑い夜、月が笑って見えた。
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