遺体無き殺人 1
伴蔵あんにゃ
事件の舞台は山形県の赤湯町。現在は合併して南陽市となっています。赤湯は山形新幹線も止まる温泉の町でラーメンが好きな方は「龍上海」というラーメン屋の名前を出せば「ああ、あそこですか」と思い浮かぶと思います。
町の東側には国道13号線があり、南へ行けば米沢市、北へ行けば山形市にたどり着きます。北へ向かうには鳥上坂という坂を登らなければならず、この坂は大変急な坂で冬になると現在でもスリップ事故が起きたりします。ただ、坂を登り切ると眼下には白龍湖という小さな湖と米沢平野が広がり美しい光景が広がります。この鳥上坂を登る国道沿いに小さな小屋が建っていました。小屋の主は高橋伴蔵という人物。年齢は64歳。生まれは赤湯町ではなく、東村山郡相模村(現在の山辺町)でした。実家は貧しい農家だったそうで、幼い頃から農家への奉公を転々とし、赤湯町へ流れて居を構え10年経っていました。彼の家の写真が載っていたので見ることができたのですが、お世辞にも家とは言えず、作りがガタガタの素人が作った小屋という感じです。
伴蔵という男は当時としては実に変わり者で、独り身であることを心配した町のものが奥さんを世話しようと話をすると
「米の飯を食うカカアは御免だ」
と相手にせず暖炉代わりの飼い犬が唯一の家族でした。彼は相当なケチだったのです。ケチだけに女を買うことはなく、一滴の酒も飲まないという徹底ぶり。伴蔵は特別害が無く、性格も呑気で朗らかだったので町民達は親しみやすかったようで伴蔵を「伴蔵あんにゃ」と呼び人気があったそうです。「あんにゃ」とはこの地方の方言で「兄ちゃん」という意味です。
この「伴蔵あんにゃ」が忽然と姿を消し、行方不明になったと町の噂になり広まったのは昭和7年3月。物語はここから始まります。