植物の図鑑-カリガ版-

〈12ページ 「紫陽花」〉

大家さんに今月分の家賃を納めに行くと庭に紫陽花が咲いていた。紫陽花は青と紫があり何気なしに眺めていると大家さんが「欲しいの?」と尋ねた。私自身は部屋に飾るような人間ではないが、水島さんなら喜ぶかもしれないと思った。そうだ、これを口実に水島さんと会話できるかもしれない。私の脳内の妄想は次第にエスカレートしていき、この紫陽花があれば水島さんと会話ができると錯覚してきた。

「もうぜひ、いただけるなら!」

それじゃあと大家さんは自宅から園芸用のハサミを持ってきて適当に切っていってよとハサミを私に渡した。私は礼を言い、どの紫陽花を切ろうか品定めを始めた。

青すぎる紫陽花は悲しすぎるし、紫すぎる紫陽花は妖艶すぎて下心が透けて見えるような気がして茎にハサミを当ててからやっぱり…を繰り返した。そんな感じで逡巡を繰り返していると紫陽花群の奥の方から「ワタシにしてよ」と声が聞こえた気がした。私は紫陽花群をかき分けると小振りながらも淡い紫が美しい紫陽花を見つけた。これがいいと私は瞬時に思い、パチリとハサミで茎を切った。すると紫陽花はフワフワと宙を泳ぎ出した。私があっけにとられていると紫陽花は風に乗ってどこかへ行こうとする。私は紫陽花が逃げないように掴もうとしたが、紫陽花は私の手をするりと抜け飛んでいく私はその後を追う。紫陽花は私をあざ笑うかのようにフワフワ気持ちよさげに風を泳いでいく。

 しばらく紫陽花の行方を追っていると紫陽花は急に力なくポトリと地面に落ちた。私が拾い上げると「あ、コンニチハ」と声がした。声のする方を見やると水島さんだった。こんな偶然があるだろうか。私は狼狽しながらも「コンニチハ」と挨拶し、「ちょうどそこで貰ったんだ。よかったらどうぞ」と紫陽花を渡した。「え、いいんですか?」と水島さんは少し困った顔をしていたが、私が「いいよ!もちろん」と強引に渡して怪しげに立ち去ろうとしたら

「ありがとうございます。すごく綺麗な紫陽花。部屋に飾りますね」

と水島さんは私に手を振った。私も手を振り返す。来た道を戻りながら陰鬱な雨雲を見上げ梅雨空も悪くないなと独り言を言った。

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