月読み2
その部屋は家の離れにある茶室のような小部屋だった。日も暮れた頃、離れを訪れると入口に白い提灯がぶら下がっていて明かりが灯っていた。暗いので提灯が闇夜に浮かんでいるようでここが現代なのかわからなくなりそうだった。
「お邪魔します」と小声で木の引き戸を開ける。部屋は予想通りの4畳半で両壁には本棚が隙間なく並べてあった。本棚にはパッと見た感じ私にはとても理解出来そうにない難しい本がびっしりと詰め込まれてある。部屋は古風な香りがした。恐らくお香が焚いてあるのだ。
「ハジメマシテ」
声のする方に視線を向けると部屋の奥に(といっても狭い部屋なので奥なんて存在しないが)着物を着た女性がパソコンのキーボードを叩いている。「は、はじめまして」私は緊張から少しうわずった声で答えた。
「夕子の姉です。」
「夕子さんの後輩です」
…謎の沈黙。月夜さんは相変わらずキーボードを叩くのに夢中だ。あ、いや今左手を上下にパタパタさせ座るように促された。私は指示に従う。気付かなかったが座布団が用意されている。そこに正座する。
「実は1つお願いがあるんです」
「なんでしょう、か」
「石引町に…石引町はわかりますよね」
「ええ。兼六園の近くの…」
月夜さんはパソコンの画面から目を話しかめっ面で一瞬宙を見ながら思案して
「ああ、そうそうですね。兼六園なんて小さい頃に行ったっきりだから記憶の彼方です。その石引町に日進堂というお店があります。そのお店からインクを1つ買ってきて欲しいのです。お金はこれで支払って下さい」
そういうと月夜さんは右手を伸ばし私に薄ピンクの風呂敷包みを渡した。受け取るとずしりと重みがある。恐る恐る包みを解く。中にはぶ厚い札束が2つ。私はぎょっとした。
「店主には貴方が来ることを伝えてあります。お願いしますね」
私がいいとも悪いとも言わないうちに勝手にお使いをすることになってしまった。月夜さんは再びキーボードを澱みなく叩き始めた。色々聞きたいことがあったが、これ以上ここにいても沈黙が続くだけだと思い「わかりました」とだけ言い立ち上がり部屋の引き戸を開けた。
「店に行くのは明後日、出来れば夕暮れがいいと思います」
いいと思いますって…こっちにも都合があるのだが。しかし、断ったりしたら何が起きるかわからない。再び「わかりました」とだけ言い部屋を出た。気付いたら手のひらが尋常じゃなく汗ばんでいる。そのせいか夜風が吹くと気持ちよかった。離れを後にして振り返るといつの間にか提灯の明かりが消えている。私は深く考えないようにした。
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