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【読書からの贈り物】『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』を呼んで、作者や作品の背景について調べてみた!

おはようございます。金木犀川かおりです。

今は、岩波書店|斎藤惇夫|冒険者たち ガンバと15ひきの仲間を読んでいます。

皆さん、この名作をご存じですか。きっとご存じの方も多いかと思います。
私自身、小学生の時に国語の教科書で一部が出てきた後、全部を読みたくて、確か親にお願いして買ってもらったのを覚えています。
この作品、大人になった今読み返しても、本当に感動する部分が多いです。

それで、この作品や、作者のことについて、もっと調べたいと思い、調べてみることにしました。
今回は主に、ウェブ記事にある斎藤惇夫さんのインタビュー記事から、作品の背景について調べてみました。


1、「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」の作者斎藤惇夫さんの背景で印象に残ったこと

●1940年新潟生まれ。
●立教大学法学部に進学した後、1960年安保闘争に参加→ここが重要な出来事になります
●福音館書店編集部に勤務、児童書籍の編集に携わる
●1970年「グリックの冒険」でデビュー。日本児童文学者協会新人賞を受賞
●1972年に「冒険者たち ガンバと15匹の仲間」を発表
●1983年に「ガンバとカワウソの冒険」を発表
●2000年より作家活動に専念
●2003年から、浦和諸聖徒教会で、絵本大学を開催
●2021年よりさいたま市の麗和幼稚園園長

2、作者が語る、キャラクター秘話(インタビュー記事より)

株式会社オトバンクのホームページで、斎藤惇夫さんのインタビュー記事があり、その内容がとても面白かったです。
作品について、またキャラクターについて、とても丁寧にインタビューしてくださっていました。

この中で、主人公ガンバについて、こんなやりとりがあります。

― 斎藤さんにとって「ガンバ」というキャラクターはどのような存在なのでしょうか。

斎藤: ガンバはそもそも夢見るだけのような存在です。「どこか広いところ…」と偉そうに言っていますけど、本当は何にも考えていない。実は彼は、思春期から青春期の私の自画像なんです。

私は新潟県長岡市の育ちですが、関東との間には三国山脈があります。当時の私は、あの山脈の向こうには一体何があるのだろうとずっと思っていました。そして、山脈の向こうはギリシャ神話の世界であり、南の国の物語であり、オリーブや柑橘類が実っていて、空は晴れていて、花々は咲いていて…と想像するわけですよね。

ガンバはそんな存在です。でも、マンプクをはじめとして、いろいろなキャラクターたちがあらわれて、自分が経験したこともない世界に進んでいく。そして大人の入り口まで辿りつく。それは思春期から青春期にかけての私自身なんですよね。

またノロイのイメージは、60年安保闘争の際に対峙したものも投影していますが、やはり思春期から青春期にかけての、魅力的な年上の女性のイメージが多分にあります。(ノロイのモチーフとなった)八丈島で出会った、木漏れ日を浴びて白く輝いたイタチは本当にきれいでした。

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回 (sinkan.jp)

また、ガンバ以外のキャラクターについても、こんなやりとりがあります。

― 15匹の仲間たちの中で、最もご自身に近いキャラクターは誰だと思いますか?

斎藤: 全員ですね。それぞれが自分の心の分身です。実は最初、まともな名前をつけていたのですが、物語が進むにつれてどれがどれだか分からなくなってしまって(笑)適当な名前をつけたのですね。
それで最後に書き直そうと思っていたのですが、書き直す力もなかったのでそのままで出したところ、子どもたちが好きになってくれたんです。

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回 (sinkan.jp)

3、作者にとって重要な出来事と、それが作品に与えた影響について(インタビュー記事より)

斎藤惇夫さんは、60年安保闘争に参加されています。その時の出来事は、斎藤さんに大きな影響を与え、またこの作品に、その時の経験や思いがたくさん込められているようです。
それに関するインタビューの部分をまとめました。

青春時代、現実で生きる上での個人的な苦しみと向き合わないといけないことがある。私は1940年生まれですが、20歳のときに60年安保闘争があって、国会議事堂の前で敗退していったんですね。
あのとき、一体自分はどこにいくのだろう、もう一度故郷の新潟から出直したい、そういう想いがあった。そこから『グリックの冒険』のような物語が生まれてくるわけです。
その後、児童書の出版社に就職し、子どもの本を編集するのですが、そういった自分の失敗や悲しみ、絶望を耐えているだけではとてもやりきれないということで、自分で物語を書くことで客観視したいと考えました。

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回 (sinkan.jp)

また、「冒険者たち」は、児童文学書でありながら、キャラクターたちが死んでいくというシーンがあります。
私自身、子どもの頃に読んで衝撃だったのを覚えていますが、それについても、こんなやりとりがありました。

― もう一つ、キャラクターが死ぬシーンというのも子どもにとってすごく重要だと思います。『冒険者たち』でキャラクターが死ぬシーンがありますが、読み手としては精神的に動揺するんですよね。乗り越えるのに体力がいります。

斎藤: 結構(『冒険者たち』のキャラクターは)死にますもんね。私の経験ですが、親友が60年安保闘争で死んでいるんです。それは新聞に出たりするような事件ではないのだけど、その後自殺をしてしまったり、1年くらい経ってから死んだりということがあって…。そういった亡き友人たちへの弔いが込められているのかもしれません。

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回 (sinkan.jp)

このように、60年安保闘争に参加したことが、この作品のいろんなところに、その経験、影響、思いが込められていることが分かりました。

4、児童文学、絵本に携わる斎藤さんの、子どもの頃は?(インタビュー記事より)

最後に、興味深かったのが、斎藤さん自身の、子どもの頃のお話です。

――子供の頃に読んだ本は。
◆宮沢賢治が好きで繰り返し読みました。翻訳ものでは「ドリトル先生アフリカゆき」(ロフティング著)。出合いは「動物の言葉がしゃべれる物語がある」と担任の先生が読んでくださったこと。図書室で借りようと競った3人のうち1人は後に動物学者になり、もう1人は商社マンで赴任して、その後もアフリカに住んだ。それをきっかけに3年に1度アフリカに行っています。ヌーに囲まれたり、象がすぐ近くまで来てくれたりすると、少年時代の黄金の時が戻ってくる。ドリトル先生のおかげです。

 ケストナーの「ふたりのロッテ」は、(双子の姉妹が)別々に暮らしていた両親を再び一緒にさせる話。日本は戦後間もない頃、西欧の人たちに「いやいやながらのデモクラシー」なんて冷やかされていたけど、この本は、子供が社会の大切な要員で大人と同じような権利を持たないといけないとうたっている。民主主義の基本を、ルイーゼとロッテから教わった感じがします。

絵本とYouTubeに決定的な差 10歳まで1日15分、読み聞かせが育む力 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

― 斎藤さんは「読み聞かせ」を楽しんだご経験はありますか?

斎藤: もちろんです。幼い頃に祖母から読んでもらった昔話、小学校1、2年生の頃までは母親がグリムを中心に読んでくれました。また、私の小学校の担任の先生もよく本を読んで下さる方で、宮沢賢治や『ドリトル先生』シリーズ、ケストナーなどの世界に触れました。ところがね、その先生は長い作品になると第1章しか読んでくれないんです。そうすると続きが気になる。悔しいので図書室からその本を借りて続きを読むわけです。
そうして本の世界にどっぷり浸かった私たちでしたが、『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』に夢中になった友人は京都大学に行って動物学者になったり、『ドリトル先生』に夢中になった友人はアフリカに行ってドリトル先生の真似をしたりしていました。私みたいに子どもの本を作る立場になっていった人もいます。

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』著者 斎藤惇夫さん bestseller's interview 第74回 (sinkan.jp)

今回は、「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」の作者、斎藤惇夫さんのインタビュー記事から、作品の背景、また作者の背景について、知ることができました。
作品そのものをじっくり読むのも大切ですが、こうやって作品や作者について少し調べてから読むと、また違った味わい方、意味の捉え方もできる気がして、これから読み進めていくのが楽しみになりました。

ガンバたちの仲間になったつもりで、また斎藤さんの経験に思いをはせながら、この本の世界を楽しんでいきたいと思います。

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