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7.なにかを祈る立場にもないが

 10年ほど前、職場の先輩が言っていた言葉をふと思い出した。
 「死ぬときになって自分の人生振り返った時に、“めっちゃ金稼いで良かった〜”ってならないと思うんだよね。それよりも“好きな人と一緒にいれてとか彼らと働けてよかった〜”だと思う」

 このエッセイは、自分が毎日何を思い考えているかを自分で知るため、そして友人・知人への近況報告も兼ねて書いている。
 日々の過ぎていってしまう小さなことをすくって、自分という棚にはなにが収まっているのか、棚おろしの意味をこめて綴りたい。

 とあるテレビ番組で見て以来、ファンだった女性が先日亡くなった。彼女は20代前半にしてガンになり、闘病の様子をInstagramで発信していた。末期ガンではあったが彼女は前向きで、投稿からは“絶対に生きる”という信念が感じられた。
 彼女のフォロワーは、闘病の末きっと完治して幸せな日々を送るだろう、その過程を見届けたいし、コメントや贈り物や、投稿を見て念を送るというかたちで応援したいという方が多かったのではないだろうか、わたしもそのひとりだ。

 そんな中彼女のアカウントで、息を引き取った旨の投稿が、彼女の旦那さんからあった。
 色々な感情がわきあがったが、Instagramでの投稿は彼女の一部だし、わたしは赤の他人なので、彼女の闘病やそれまでの日々を知った気になるのは違う気がして、その感情を言葉にしなかった。

 しかし、なにかにつけふと彼女のことを思い出してしまい、過去の投稿をながめていた時、先程あげた先輩の言葉が思い出された。

 わたしはどうだろうか、と現時点での人生を振り返ってみる。
 周りの人に救われてばかりだったな、と思う。図書館で働けて良かったな、と思う。これは、やりたいことに挑戦できて良かったと同義だ。もっと人のことを救えれば良かった、とも思う。

 Instagramの投稿からわたしが個人的に強く感じたことは、(彼女の真意は少し傍に置いておいて)どうやって生きるか考えろ!というメッセージだ。

 挑戦したい、人を救いたい、これがわたしのやりたいことなのかもしれない。

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