生死と健康。
健康とは
病気ではないという
状態のことを
云うのではなく
心身ともに
健全で
生き生きとした
創造の営みを
織り成してゆくところに
真の健康がある
健康診断受けてるから
サプリ飲んでるから
というような
安直な考えでは間違いです
健康に努めようと
日々聡明に
規則正しく生活しようと
努力してゆく姿勢が
健康へと導きます
食事や睡眠
そして運動などに
留意していくことが
健康には必要不可欠です
生命の根源においては
健康は病気と一体であり
時には健康
時には病という状態で
現れることがあり
関連し合っています
人間は死をさけることは
できません
生死の根本的な
解決の方途を示すなら
人間は死という問題に
直面した時には
無力にならざるをえない
死の問題の
確かな解決の道がある
最愛の人が亡くなれば
悲しいのは当然です
しかし
その悲しみに負けることは
話が別です
なかには
生まれて間もなく
病気などで
早世する子供もいます
しかし
生命は永遠なのです
今世で巡り合えたこと
これは深い意味があります
父や母そして家族らに
瞬間でも出会えたことの
宿縁は限りなく深い
親子は一体であり
子供の他界を契機に
生き方が
変化してゆく人は多く
結果的には
その亡くなった子は
使命を果たしに
生まれてきたという
意味がある
嘆き悲しみ落胆し
涙を拭い続けている
自分なのか
太陽に向かい
顔を上げ
亡きひとの分まで
生き抜こうとしている
自分なのか
キミが悲しければ
周りも
亡くなったひとも
悲しい
しかし
悲しみの淵から
立ち上がり
必死に生き抜けば
亡くなったひとも
歓びの涙で眼を
潤ませるでしょう
「すごいぞ!」と
喝采をおくってくれます
だからこそ
亡きひとの分も
強く生き抜くんですよ
ボクは自分への
激励の手紙かと感じた
朝学のかたの
読み聞かせである
何か読書された本の
抜粋だとかで
ボクはとても感動した
亡き母を思い浮かべ
話を聞いていた
頷きながら
大切に聞いた
本当にそうだなと
納得した
ボクは最近
持病で余命宣告されてから
投げやりだったなと
どこか
頭の片隅で
「どうせ」と感じていた
同級生と滅多に
交流できないことや
病院通いばかりなこと
本当の親が亡いことや
保護者らの家を
渡り歩いてること
それらすべてを
「どうでもいい」という
甘えた考えでいたなと
反省した
声にしなくても
心のどこかでは
愚痴が多く反省がなく
感謝も無い
喉に仏で
喉仏
声に出して
心を想いを伝える
大切な部位
声にしないから
別にいいやという
最低な人間性
ボクは恥ずかしくなった
亡き母の日記のいちぶを
思い出した
「言葉にしなくても
ひとの心は伝わるものです
ヘタクソな文章でも
一生懸命書いたのか
ヘタクソな絵でも
必死に描いたのか
ヘタクソな作品でも
誰かを思って
創り上げたのか
心は必ず伝わります
忘れてはいけません」
お母さんは
よくわかってるな
ボク恥ずかしいな
車イスでも
足が動けるように
何度も何万回も
おじいちゃまが
散歩に連れ出し
最悪の日は
車イスを押して歩くこと
ボイコットしたボクを
安全に連れ帰るために
おんぶしてくれたり
ボクは
甘えてしまってるな
感謝しよう
本当に反省しました
★上記名刺記事が自己紹介です★フォロー返しません★フォロー気軽に自由に外してください★コメント返信遅いです★コメント削除する場合あります★スマホもパソコンも保護者らに時間制限で借りるのでフォローしても読み切れません
みなさん
いつもいつも
細やかな配慮と
気遣いありがとうございます
本当にありがとう
何もできない
ボクです
ボクは
ボクのできること
やり続けます
ボクにしか
できないこと
必ずたくさんある
それは
世界の片隅の
キミを励ますこと
キミを必ず守ります
それじゃ
またあした
追伸
気象病は10日
午前中まで酷かった
突然良くなり
そしてまた午後から
寝込んでいます
病院での診察中も
唸ってましたが
午後から
アイス買ってもらって
ご機嫌でした
知らない人がみたら
やはり
「詐病」と
言われちゃうのでしょう
くやしいけど
証明が難しいし
医者や知ってる人にしか
説明できない病です
他にも持病のある皆さん
共に乗り越えましょう