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なぜ、私が再エネ事業に取り組むのか?パシフィコ・エナジー社長:松尾大樹

世界中で「脱炭素」の動きが加速している今、大きな注目と期待が集まっている再生可能エネルギー。本企画「エネルギーの未来について語ろう」は、そんな再生可能エネルギーに秘められた可能性や魅力について、パシフィコ・エナジーで働く「中の人」や関係者に、それぞれの想いを語ってもらう記事コンテンツです。

最初に登場するのは、パシフィコ・エナジーの代表取締役を務める松尾大樹。再生可能エネルギーのこれからの可能性や展望、ビジネスにかける想いなどについて、3回に渡ってお届けします。第1回目となる今回は、松尾自身の生い立ちや再生可能エネルギー分野に携わるようになった経緯、再エネビジネスに携わるモチベーションなどについてお話します。

自然豊かな長崎の風景が原点

パシフィコ・エナジー株式会社 代表取締役社長兼CEO 松尾大樹

みなさん、はじめまして。パシフィコ・エナジー株式会社の代表取締役社長兼CEOを務める松尾大樹(まつおひろき)といいます。私たちパシフィコ・エナジーは太陽光発電所の開発・管理・運営を行なっている再生可能エネルギーのプロフェッショナル企業です。2012年に創業、私で3代目の社長となります。

新たにこのnoteという場を通して、再生可能エネルギーの魅力や可能性を発信していけたら、と考えています。

まずは代表を務める私自身の自己紹介をさせていただきます。私の出身は長崎県で、子どもの頃から自然がすごく身近なところにありました。母方の実家は五島列島にあって、夏休みや冬休みにはよく遊びに行き、海水浴や釣り、山遊びをして楽しんでいたのが少年時代のいい思い出として心に残っています。

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原風景でもある長崎の海

五島列島は農業や漁業が盛んなところです。祖父母の家でも牛や鶏を飼っていて、さっき庭で絞めたばかりの鶏が食卓に並んだりするなど(子ども心に最初は衝撃でしたが…)“命”と“暮らし”がすごく近いところにあるような、そういった風景が自分の中に原風景としてあります。

転機となったドイツ留学と商社への就職

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ドイツ留学時代の松尾

そんな自然豊かな環境が身近にあったからか、大学では環境について専門的に勉強したいと思い、農学部へ進学。九州大学で大学院まで進み、再生可能エネルギーの一つであるバイオマスエネルギーについての研究に励みました。

最初の人生の転機が、大学院時代の海外留学。環境先進国として有名なドイツの農業大学で1年間研究を行いました。当時の自分は、ドイツ語はおろか英語もロクに話せないような状態。語学力とコミュニケーションの壁にモロにぶち当たり、自分の無力さをイヤというほど感じさせられたのを覚えています。そもそも欧米の人たちは、日常会話の中でも自分の意見をハッキリ表明するし、ディベート慣れもしていて、自分と同年齢くらいの学生でも話しぶりが実に堂々としている。現地の学生と自分を比べて「ああ、俺はまだまだ井の中の蛙だったんだな……」と実感できたことが、ドイツ留学の一番の収穫だったかもしれません。

留学から日本に帰ると、修士論文を書き上げ大学院を修了しました。研究者になることも考えたのですが、民間に出る道を選んで、総合商社に入社。商社を選んだのは、世界の様々な国のビジネスに触れたいと考えたからです。

入社後はエネルギー関連の部署に配属され、二酸化炭素排出権の仲介ビジネスに携わりました。発展途上国を中心にさまざまな国のクリーンエネルギー事業に携わる中で、各国それぞれ産業のあり方も違えば、二酸化炭素を削減できる余地も違うし、そこにかかるコストも全然違うことを身を持って知ることができた。自分の中の知識のユニバースが広がるような、ものすごく大きな学びになりました。

必死で働いたアメリカ駐在時代

就職してから数年後、二度目の人生の転機が訪れます。商社の関連会社に自分から手を上げて出向させてもらったんです。当時ちょうど30歳ごろ。この約2年半のアメリカ出向時代が、自分を鍛えるという意味では、一番の修業時代だったように思います。

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アメリカ駐在時代の松尾

アメリカでは“ディベロップメントマネージャー”という肩書きで主にプロジェクト開発の責任者を務めましたが、とにかく仕事の大小問わずになんでも率先してやりました。当時の自分には自信を持って「これ」と言えるものがなかったし、とにかく勉強しなければという意識で、赤字事業の管理・運営など他の社員が敬遠するような仕事も率先してやりました。

職場はアメリカの西海岸、メキシコ国境近くのカリフォルニア州サンディエゴという街でしたが、新規案件開拓のために、アメリカ各地やカナダまで飛び回っていた時期もあります。アメリカに渡った当初は、英語力も全然だったのですが、かつてのドイツ留学時代の経験もあるので、そこはあまり気にせず、いろんな人を強引に捕まえて飲みに行ったりしてました(笑)。

アメリカのビジネスパーソン、特に西海岸の人を見て思ったのが、まず人間性が底抜けに明るい。そしてリスクを取ることを全く恐れない。なにせ「自分の銀行口座にお金があることがストレスだ」というような人たちです。日本人とはリスクの捉え方・考え方が根本的に違う。稼いだお金はすべて投資につぎこんだり、週末に私が家でのんびり過ごしている時、彼らはエクストリームスポーツをガンガン楽しんだりしているわけです。

そんな「リスクそのものが人生の喜び」みたいな人たちと、ビジネスの最前線で肩を並べて、しのぎを削らなければならない。「自分はこういう人たちを相手に戦わなければいけないんだな」と、ビジネスで対峙する人たちの想定レベルがグッと上がったことが、アメリカ時代で得た一番大きな収穫だと今になって思います。

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カリフォルニア州モハべ砂漠の風力発電所

帰国、パシフィコ・エナジーへの入社

2年半の任期を終えて、日本に帰国したのが2013年3月。ちょうど前年に、日本でも再生可能エネルギーの固定価格買取制度が始まっていました。また東日本大震災から間もない時期で「再生可能エネルギーで日本に貢献できる仕事をしたい」と私自身強く感じるようになっており、パシフィコ・エナジーへの入社を決めました。私が入社した当時はまだ社員数も少なく、私は5人目の社員でした。

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発電所の建設現場を視察する松尾:画像中央

だからこそ、日本でそれができることがうれしくて、泥臭い交渉でも何でも喜んでやりました。社長になってからは、なかなか現場に出る機会も少なくなりましたが、隙あらば現場に行きたいと今でも思ってます。プレイヤー気質といいますか、私の根っこの部分は起業者タイプではなく、間違いなくソルジャータイプなのだと思います(笑)。

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アメリカで覚えたサーフィンは今も良い息抜きです

再生可能エネルギー事業へのモチベーション

学生時代からライフワークとして再生可能エネルギーに携わっていた私にとって、再生可能エネルギーをビジネスとして展開できることは喜びであり、仕事自体が大きなモチベーションです。日本人は昔から豊かな自然と寄り添って人間社会を形成してきました。自然環境の再生能力を維持しながら再生可能エネルギーを広めていくことが私の使命だと思っています。そのためにはやはり再生可能エネルギーの可能性と魅力を多くの人に知ってもらうこと。そして、これからの日本を担う若い世代や後世の人たちに対して、持続可能な社会を残し、魅力ある仕事を創っていきたいと思っています。

環境問題が世界経済をも左右するほどな重要トピックとなっており、Z世代のような新しい価値観を持つ世代が登場してきている今だからこそ、私たちのビジネスはもちろん、このnoteを通しても、再生可能エネルギーの魅力と可能性に共感してくれる人たちを、少しでも増やすことができたらうれしいです。

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除草剤を使わず、太陽光発電所に羊を放して除草をしている行うアメリカの太陽光発電所。
私たちもこのような環境配慮型の発電所を目指しています


「エネルギーの未来について語ろう」松尾大樹連載の続きはこちらからご覧いただけます。


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