CKD(慢性腎臓病)の数値を変えられた習慣その9
こんばんは、ぱーちーちゃんです。
note更新もすっかり習慣に出来そうな予感がしております。
さて、先日から1~10のシリーズで、CKDの検査数値を変えられた習慣をnoteしております。
もちろん10個なわけが無いのですが、まずは10個の数値が変わった習慣にできた事をお届けしたいなと思います。
CKD(慢性腎臓病)の数値を変えられた習慣、その9
「少しのんびりし過ぎかな..と思えるぐらいに追われる生活から離れてみる」
私はもともと凄く我慢強く、頑張り屋で打たれ強い性格をしています。
また仕事や家事でも、やり始めるとやり終わるまで止まらず、真面目で片付かないの落ち着かない所もあり、いい加減な人が羨ましくなる事も沢山ありました。
なので、「私、手を抜きすぎているな」「サボってるな」「頑張ってないな」と思う事は殆ど無く生きてきたので、どうしてちゃんと出来ない人が多いのかなぁとため息をつく事も凄くありました。
そんな時に、やはり気が付いてしまうのです。
いい加減な人や、自分勝手に生きてる人、自分の事だけ考えていれば良い人、逃げ足が速い人や事なかれ主義な人って病気をしないなっと。
悔しいけれど、人に迷惑をかけても気が付いていないような一風ある方々は「病気なんかした事ないから分からない」って口を揃えて言います。
凄く嫌な言葉でしたが「病は気からでしょ」「病気した事無いから、ごめんなさい病気の事話されても何て答えたら良いかわからない」「病気だって思うから病気になるのよ」など病気に苦しむ人の前でも平気で仰られます。
自分が当事者で無い時は上手くフォローしたり注意したりしながら、闘病中の人を言葉の矢から守ったり言い返したりも出来ましたが、自分が当事者になると怒り以上に悲しさのどん底に突き落とされる無知の言葉だなぁと常々感じてきました。
でも、自分勝手に生きているそんな方々の「歯医者と風邪で内科以外は行った事ない」という背景が何故か一致するのです。
さすがにこの3ヶ月は考えました。
私にはそんな言葉は絶対に言えないし、人にされて嫌だった事を人にする事は出来ないけれど、少し我儘だなぁ、もう少し頑張らないとなぁ、と思えるぐらいに力を抜いた生活を期間を決めてでもやってみるべきだなぁと。
私は病気で追い込まれる時に、必ずセットで人の軽い言葉や経験の無い方々の理解の無さや軽さに傷ついてしまいます。
だから、今回はLINEや人との交流自体から物理的にしっかりと距離を取って、自分の事だけを考えられるような生活を3週間過ごしてみました。
今の私から見ると、3週間前までの自分は正常では無いぐらい疲れ、無意識に追い込まれていたと分かりました。
休みを取って1週間目には「これだったら別に休みは要らない、働いていた方がお金にもなる」って言っていたのですが、そこから3週間後には「眠い」「働きたくない」「休暇が終わるのが嫌だ」「人に会いたくない」っと、大人になってからあまり口にした事がない感情に切り替わっていました。
こちらが正常だとさえ思いました。
少しのんびりし過ぎかな..と思えるぐらいに追われる生活から離れてみるって簡単では無いけれど、意外とやってみれば色々と変わり、色々と気づきがあるなぁと思いました。
今日も読んで頂きありがとうございました!