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今日の最適化は明日のボトルネック(Web3とメタバース

フューチャーズ・デザイナーを自称し、テクノロジー界隈で物書きをしている人間としてはまったく誇れるものではないけれど、まず自分がオンラインゲームをまったくやらないこと、それから仮想通貨とNFTにも個人的な興味が持てずにいることを書いておく。
それとは逆に、非中央集権やDAO、それからクリエイター・エコノミーには複数の点から興味・関心を抱いている。先に挙げたものとは対照的に、こちらは言葉を聞いただけでちょっとワクワクしてしまう。
今から書くのは、そういう人が個人としての好みを超えて、ある程度の解像度で大きな流れをつかめるようにしておくために、Web3とメタバースの現状をできるだけ偏らずフラットに理解するためのエチュード、みたいな文章だ(と、逃げ道づくりここまで。

Web3とメタバースは別物

まず、Web3とメタバースは別物だ。「何を当たり前な」と言われるだろうが、案外、ごちゃごちゃ考えているうちに要素を取り違えてしまったり混ぜてしまいがちなので。
この2つは、別の出自を持ち別の価値観と世界観を持っている。どれくらい別かというと…村上龍と村上春樹。麻雀と宝くじ。アーセナルとチェルシーくらい違う。
…むしろ分かりづらくしてしまったかもしれないので、比較する形で書いておく。

Web3

インターネットの中央集権からの脱却(分散: Decentralization)を旗印とし、データの所有権や価値交換方法の自律性を高め、それを中心としたエコシステムを作ろうという動き。まずイデオロギー的な要素があり、それをオンラインの世界を起点に社会実装していこうとする取り組み。
ただし、それをどこまで求めるかには個人差や組織差がある(中央集権や強権主義を快く思わない誰もが共産主義や無政府主義を求めるわけではないのと同じ)。

メタバース

コンピュータ世界での生活や体験価値を豊かにするためにその障害を減らしていこうという動き。身体性、コミュニティ性、リアルタイム性などをその必要要件としているものが多いが、実現のための取り組みや範囲は非常に幅広く、定義付けは個人差や組織差が非常に大きい。
また投機性や快楽性の追求を目的に参加しているものも一部存在している。

どうだろう。この説明だけを見れば、まったくの別物であることを感じるのではないだろうか。それなのに、なぜ似かよったところが出てくるかと言えば、実装に用いられる技術や考え方が、ブロックチェーンであったりクリエイター・エコノミーであったり、あるいはデジタルツインであったりというところが重なってくるからだ。

蛇足

さて、ここからは蛇足で、この2つの今後をちょっとだけ予測してみる。
おそらく、Web3の目指すネットの民主化がドラスティックに達成されることはないだろう。ただ、DAOであったり共有の概念を広げていく「コモンズ」の動きであったりと連携しながら、Web3のエコシステムを少しずつ増やし広げて大きくしていくのであろうと思う。
そしてその過程において、おそらく理想的な要素はどんどん削られてしまうのではないだろうか。残念ながら、中央集権にはそれが与えてくれる便益も少なくないから。

それでも、理想を捨てず、かつそこにこだわり過ぎず、しっかりとバランスをとって進んでほしい。
今日の最適化は明日のボトルネック なんて言葉もあるしね。

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