生活保護とベーシックインカム
ベーシックインカムにもいろんな流儀やら形がありますが、おれとしては、「生活保護と真逆のところから出てきているベーシックインカム」という思想・思考について、もっと深く考えたいし理解したいと思っています。
■ 生活保護 | 証明が必要。生きるのに必要なお金を得る手段を実行する方法や能力がないことを明らかにしなければ得られない。
■ ベーシックインカム | 証明が不要。方法や能力の有無は関係なく、そこに存在していれば誰であっても得られる。
これは<良い悪い>ってことじゃなくて、発想の入り口が違うということ。
(これとは別のところから来ているベーシックインカムに対する思想・思考があるのは理解しています。が、ここでおれがウダウダ書きたいのはこの対比。)
<証明・説明責任の有無>は、これまでの社会の前提にされていた「人は仕事をするべき」という概念からの…ひょっとしたら、<お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで>という死生観からの脱却にも通ずるものなのではないか?
おれ自身は<顔に汗を流してパンを得る>ことは尊いことだと思うし、それを第一選択肢として生きていきたいと思っているけれど、それが絶対善である必要はないとも思っています。
というか、それを絶対善とする傾向が強すぎることが、平穏よりも不穏を呼び起こしているのではないかという気がするのです。
もちろん、実現方法とか運用方法とか、実際に行う際にはものすごい量のマグマを有する巨大な活火山がそびえ立っているわけだけど、思想・思考において進めていくことは決して無駄ではないという気がするのです。
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