餅ピザと世のため人のため
もともとおれはエモーショナルな人だと思うんだけど、どうやら「冬のリモートフォルケ」参加中の今は特にそうらしい。
ちょっと前に、どこかで「人間は感情の一部だけを抑えることはできない = 喜怒哀楽のどれかに蓋をすると、他のものにも蓋がされてしまう」という話を目にした。なんとなく「たしかにそうかも」って思っていたけれど、今、「喜怒哀楽にオープンでいよう(湧いてくる喜怒哀楽をそのまま受け止めよう)」という意識があるせいなんだろう。きっと。
だって、せっかくおもしろそうな人たちが1週間集まって暮らしているんだから、まずは彼らをちゃんと自分の中に浸透させたいじゃない? (という点からも、かえすがえす初日の飲み過ぎで記憶をぶっ飛ばしちゃったのが悔やまれる…。)
と、ここから先は、昨日書いたDay2のジャーナリングをちょこっとだけ手直しして。
(ぱちはらダイアログ#13「民主主義とジェンダーギャップ」もやったんだけど、それはまた別のタイミングで。)
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今朝は結構な2日酔いから1日がスタートしたんだけど、8:00からの「デモクラシー・フィットネス 傾聴マッスル」のペアワークで、すごく涙が止まらなくなってちょっと自分でもびっくりした。
おふくろが亡くなって2カ月ちょっと経ったけど、まだやっぱり「取扱注意」だなぁ。冬のフォルケの間はエモーション全開でまったく問題ないからいいんだけど。でも、そうじゃない時もあるからね。
涙が止まらなくなったきっかけは、TAKAさんの優しいおばあちゃんのとってもいい話だった。
「世のため人のため」って言葉を、ちょくちょく口にするおばあちゃんだったそうだ。そういう言葉を日常的に耳にする環境、それも自分が好きな人が口にするのであれば、自分の中に浸透して根付いていくことだろう。きっと力強く自分を支えてくれるんだろうな。
おれも、身近な人には、ちょっとクドイくらい同じ言葉を繰り返していこう。もしかしたらそれが相手のためにもなるかもしれないし、少なくともおれ自身のためにはなる。「脳(いや、潜在意識だったかな?)は、自分が発した言葉をすべて自分に向けてのものとして受け止める」らしいしね。
タイトルの「餅ピザ」は、TAKAさんのおばあちゃんが「若者が喜ぶたべもの = ピザ」という思い込みから、何かあるたびにいつも作ってくれる料理だったらしい。
料理って、舌と胃袋と目だけで味わうもんじゃないね。
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