自分を褒められない自分の、心のクソリプに気付いた話
自分の心の声に気付いて、対応ができるようになった話について書きます。
私と同じように、自分を褒められない誰かのヒントになれば嬉しいです。
(コーチのたけちゃん @take0327take ありがとうございました!)
しっくりこない言葉たち
「朝起きただけでえらい」
「生きてるだけで100点満点」
「自分って最高!」
最近、こういった肯定的な言葉を聞くことが増えました。
「素敵だな」「私もそうありたいな」と思います。
なのに、自分にその言葉をかけてみると、しっくりこない。
日記に「今日はいつもより早く起きたから、1兆点」と書いてみても、なんだか全然嬉しくありません。
心にある透明なバリアが、その言葉を跳ね返しているような感覚です。
慣れていないだけかな?と思い、2週間くらい、自分に肯定的な言葉をかけ続けてみましたが、その「しっくりこない感じ」は変わりませんでした。
もしかして、みんな、無理やり肯定的な言葉を発して、自分を鼓舞しているだけなのかな?と思いました。
肯定的な人に聞いてみた
マイコーチのたけちゃんに聞いてみました。
すると、「自分最高!」と言っているときは、無理やりではなく、心からそう思っているとのこと。
「もし、他の誰かに文句を言われたとしても、それはその人が決めた基準。知るか、と思う。自分は、自分のことを最高と思っている。」と教えてもらいました。
衝撃でした。
私は何か根本的に違うようです。
心の声に気付いた
たけちゃんの話を聞いて、「文句を言ってくる、心の中の誰か」の存在に気が付きました。
例えば「朝起きただけで1兆点」がしっくりこないとき。
「それくらいで何言ってるの?」
「あの人は5時に起きてる」
「起きただけでしょ。その後何か成果出した?」
こんな声が聞こえてきました。
まるでTwitterのクソリプみたいです。
気付くと、至るところにいた、クソリプ野郎
朝起きた瞬間から存在しているクソリプ野郎。
意識してみると、他にも色々なところにいました。
鏡で自分の顔を見たとき
「太った?」「かわいくないね」
仕事を退勤するとき
「え、もう退勤? なんか大きな成果あった?」
「みんなまだ働いてるよ? もっと働いた方がいいんじゃない?」
1日を終えたとき
「もう寝るの?」
「まだやることあるんじゃない?」
などなど。
今までは「なんかテンション上がらないな〜」くらいの「ふわっとした感覚」だったのですが、「その奥にどんな声があるか」を意識してみると、びっくりするほど、心の中で悪口を言われていました。
「すっっっごく嫌な奴」が自分の中にいたのです。
今までその存在に全く気付いていなかったことが驚きです。
こんな否定的なセリフ、他人に対しては言わないし、そもそも思ったりもしていない(つもり)なのに、一体何なの?
対応を考えてみた
せっかく「クソリプ野郎」の存在に気付いたので、その声をしばらく聞いてみると、少し対応方法が見えてきました。
対応1: クソリプを送らせない
例えば、鏡で自分を見たときの「太った?」「かわいくないね」という声。
鏡を見る度に言われるわけではなく、言われないときもあることに気付きました。
お風呂上がり(血色が良く、頭にはタオルを巻いていた)
お出かけした後(化粧をして、お気に入りの服とアクセサリーを身に付けていた)
朝、起きてすぐ(クソリプが飛んできたときと同じ状態だったけど、寝起きは特に何も感じない)
こうしてみると、クソリプが飛んでくるときの共通点は「昼間、スッピン、髪ボサボサ、部屋着」だと分かりました。
この状態を作らないために、「一日中家にいる日も、最低限の身なりを整える」ということをしてみたら、クソリプが飛んでくることが減りました。
対応2: クソリプは無視して、肯定的なリプを重ねる
仕事を退勤するときの、「もっと働いた方がいいんじゃない?」という声。
その日にやるべきことはやっているはずなのに、なぜかクソリプが飛んできていました。
これの対応方法は、
クソリプは一切無視し、
両手をバンザイして、伸びをしながら、
「仕事終わった〜! やり切った〜!」と声に出して言う
です。
これで多少スッキリできるようになりました。
これは産業医の先生に聞いた方法なのですが、脳というものは意外と単純で、自分の口から出した言葉を耳から聞いて理解したり、ガッツポーズをすると元気が出たりするんだそうです。
根本解決ではないかもしれない
ただ、これらはあくまで暫定対応で、根本解決ではなさそうだと思っています。
生きていれば、身だしなみを整えるのが面倒な日だって、早めに退勤したい日だってあります。
だから、理想の状態は「どんな自分でもOK」と思えることなはずです。
でも、今は、今できることをやればいいかな、とも思っています。
クソリプ野郎は何がしたいのか?
で、なんでこんな嫌なヤツがいるのか。
「クソリプ野郎」が私の中に生まれた理由を考えてみると、「優等生だった子どもの時の自分」から生まれているような気がしました。
いつも親や先生の言いつけを守り、大人しく真面目で、周囲から「良い子」だと褒められていたときの自分。
何か失敗してしまったときに、人からガッカリされたり、あまり慣れていない怒られ方をして、悲しかった自分。
そこから生まれた「クソリプ野郎」が何か私に「願い」を持っているとするなら、
「あなたはずっと優等生だったでしょ。もっとちゃんとして。」
「常識的に正しい事をして」
「期待を裏切らないで」
「そうすれば、怒られないよ」
「あなたには快適に過ごしてほしい」
と思っているのかもしれません。
そうか。快適に過ごしてほしいと思っていたのか。
私は「クソリプ野郎」の存在で、全く逆の状態になっているんだけどな…?
もしかして、すごく不器用なだけで、悪いやつではないのかもしれません。
これからどうするか
「優等生」を手放してみたい。
「自分で基準を決める」勇気を持ちたい。
そんな気持ちが湧いてきます。
コーチのたけちゃんからは、
「いろんな制約を飛ばしたら、どうしたい?」と自分に聞いてみてほしい
わがままになってみてほしい
と提案してもらったので、それを試している最中です。
さいごに
もし、私と同じように、自分を褒められなくて苦しんでいる方がいたら、その奥にどんな声があるのか聞いてみると、何か見つかるかもしれません。
アンチとファンは紙一重。「クソリプ野郎」も、上手くすれば味方にできるかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
追記
続編も書きました!