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先に立たないもの

約1年半ほど前のことではあるが、青木幹雄先生がご逝去された。

青木先生がまだご健在で吉田博美先生が参議院幹事長の時代、私は参議院某所にいた。
議運・国対を学ぶ、また参議院の独自性と強さを学ぶうえにおいてはこれ以上ない環境だった。
特に第193回国会の会期末では、テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の採決で中間報告が行われるなど、記憶にも記録にも残る国会、その運営であったと思う。

しかし当時の私は議運・国対の勉強はせずにひたすらに個別の政策の勉強をしていたし、こともあろうか衆議院への憧れを持っていた。

また元々の頭の回転が遅いという自覚と劣等感があったため、とにかく議論で負けないための政策の勉強、という名の理論武装に明け暮れていた。

議運・国対を勉強しないどころか、正直なところそれらを馬鹿にしていた節がある。
「議運・国対なんで55年体制の遺物だ!」「相手を論破して自論が正しいと証明できればそれでいい!」と本気で思っていた。

この歳になってわかることだが、上記二点の考えはいずれも誤りである。

議運・国対がなければ本会議、各委員会の開催はできないし、議員会館、議員宿舎の部屋割りもままならない。
また相手を論破したところでそれは単なる自己満足に過ぎず合意形成はできない。それどころか無用なハレーションを起こしてしまう。

青木先生のお言葉を拝借するなら、前者は「仲良うにやれ」、後者は「勝たんように、負けんようにやることだわね。それが一番難しい。」だろうか。

お恥ずかしながら参議院の強さを理解した、衆議院コンプレックスを克服したのはここ最近の話である。

いくら衆議院で多数をもっていても参議院が伯仲、ねじれであるならば、参議院はたちまち政局の府と化す。
逆に言えば参議院で与党がギリギリ過半数を維持しているもしくは過半数を割っているときにこそ、与党の参議院執行部の権力は強まるのである。

伯仲、ねじれ国会において与党参議院執行部が野党と謀れば法案は一本も通らない。
少数であるが故の最強の権力=拒否権の発動が可能になる。

日本国憲法下においては、権力者よりもその権力を拒否できる者の方が強い。

その最たる例が青木先生なのである。

私が青木先生を日本で一番偉い人と呼称していたのはそれが故である(ちなみに二番目以降の序列は内閣総理大臣、内閣法制局長官、財務省事務次官、検事総長、内閣官房長官or自民党幹事長の順)。

両院で2/3超に近い勢力を誇っていた2013年以降も、表向きは吉田先生、裏では青木先生率いる参議院自民党は、独自性を保ち続けた。

自らが参議院に身を置いた時代に何故、参議院の独自性と強みが理解できなかったのか、議運・国対を学ぶこのうえない環境においてなぜ学ばなかったのか。
後悔先に立たずーこの言葉が身に沁みている今日この頃である。

〜あとがき〜
ここまでの文章は一部を除き、青木先生が亡くなられた昨年6月にiPhoneのメモ内で書き終えていました(その一部は「約1年半ほど前のことではあるが、」部分)。
ただ青木先生のご逝去に乗じて自分の文章を投稿するのは、薄っぺらな追悼ブームに与するようでなんだが気が引けて、いつ投稿しようかと考えているうちに約1年半が経ち、総理大臣が変わり衆議院の勢力図も変わり。
先日プライベートで「後悔先に立たず」の言葉が沁みる出来事があったため、このタイミングで投稿することにしました。
とどのつまりは、いずれも極めて個人的な感情、事情です。

投稿にあたり改めて青木先生のことを調べていたら、こんな動画を見つけました。
特に9:45〜10:49は、地元(選挙区という意味でも、生まれ育った土地という意味でも)でのインタビューだからなのか、より素に近い青木先生を見ることができます。あくまで私の主観です。

10:38には、活字でしか見たことがなかった「〜わね」が聴けます。ナマ「〜わね」は垂涎ものです。

私は青木先生の現役時代をリアルタイムで知らないため、話しているお姿を見ることができるのは、過去の記者会見やインタビュー映像のみ。
それも小渕総理緊急入院や内閣総辞職の際の会見、竹下先生の引退会見等、特殊な状況下の映像のみだったため、この動画でのリラックスしたお姿は本当に貴重でした。

いつか島根に行ってみたい。
そして稲佐の浜に立って、最も尊敬する政治家が生まれ育った地の空気を肌で感じたい。
実際に行くとなったら、飛行機恐怖症のため陸路になりますが。。

見出し画像は、フリーイラスト素材集ジャパクリップさんより。

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