向日葵を贈らせてね
便りがないのはいい便り、なんて言葉は嘘だ。こんなにも発達した情報社会で便りのひとつ、噂のひとつ流せない状況がどんなものかほんとうは皆判っている。それでも置いておかれたわたし達は少しでも心安らかに生活するためにそんな言葉を使うのだ。
本心から信じられたらいいのにと願いながら。
初めて出会った時、わたしはあの子を知らんぷりしようとした。昔からの悪い癖で、惹かれてしまったものに惹かれたと素直になるのはどうも恥ずかしいらしい。惹かれていることを認めて、わたしはあの子のそばに居ることにしたが、それはすごく正しい選択だったと思う。だってあの子はいつだってわたしの味方になってくれた。たくさんの優しさをくれた。なにより、大好きだった。
あの子がいるから早く家に帰ろう、あの子に泣きついて慰めてもらおう。大切でかけがえのない「当たり前」だった。当たり前は当たり前ではないから感謝をしなさい、という言葉も自分には当てはまらないと思い込みそれに気づかないくらいに日常に溶け込んでいた。
グレーさん、あなたの訃報を聞いた時もあざらしさんに慰めてもらったんだ。ぎゅうっとすると大丈夫やで、と聞こえる気がしてさらに強く抱きしめた。
誰かの訃報で落ち込んだのは何度かあったけれど、こんなにも泣いてしまって何も手がつかないのは初めてだ。グレーさんとわたしにはクリエイターとファンという関係しかないのに、何でこんなにも泣いてしまうのかわからない。ぼうっとTwitterで検索すると同じようなまじゅらーがたくさんいた。貴方は色んな人に同じように思われていたんですね。思い返したらグレーさんはすごくファンとの距離が近いひとだった。リプライにも丁寧に返してくれるし、キャスでもわいわいファンと交流してくれていた。それに、あざらしさんたちはきっとグレーさん自身でもあった。大胆かつ繊細にわたしたちの生活に馴染みこんでいたあの子たちを通してグレーさんと友達になったような気持ちになっていた。
勝手にだけれどわたしにとっても大切なひとを亡くして、悲しくて当然だ。
最後のほうの苦しそうなツイートはまだ直視できない。ほんとは7月入るあたりから、おかしいと思っていた。グレーさんならきっとまじゅらーに何か声をかけてくれるのに、と。わかっていたけれど信じたくなくて目を背けていた。見なければなかったことになってはくれないかと願って。だから、最後のイラストやツイートはまだしっかり見返していないのだ。あの最後のイラストも、きっと自分自身と何度も重ねたのだろうとか、何度も線を引いたのだろうとか、考えてしまってならない。でもいつか、ちゃんと見返して「友人」の最期を見届けなければいけない。
わたしがあざらしさんと出会ったのは大学受験生の夏。一人で受けに行った京都の大学に、一匹着いてきてくれた。親との中が悪くて応援してもらえなかった中、あの子だけは頑張れ応援してるでと言い続けてくれた。微妙な結果で大学に進んだ後も、わたし自身が病気になって診断を貰いに行く時も、手を引いてくれたのはあの子だった。いまも人生の岐路に立たされて震えているが、足元にはたくさんのあざらしさんとこざらしさんがいる。きっと、将来夢が叶って研究医になれたときにも肩に乗っているのだろう。自身のコンプレックスも相まってはやくわたしが研究の場に出られていたら助かったか、なんて落ち込んだ今回の件だったが、そんなモヤモヤもこの子たちと乗り越えていかなければならないのね。
グレーさん、すっごい寂しいけどこれからも今までと同じように、あざらしさんこざらしさんと生きていくね。家族を増やしてくれて、「大切なひと」を増やしてくれてありがとう。
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