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うさぎの姉、あざらしの弟子

 ぬいぐるみと旅行に行くのが流行っている。「ぬい撮り」なんて言葉が巷では使われる。わたしは、多分、ずっと昔から「それ」をしていた。

 わたしには姉がいる。何歳離れてるかはわからないが、わたしよりは母の年齢に近くて、性格もうんとお姉さんで、なによりウサギなのだ。さらに言えば、姉は所謂「ぬいぐるみ」なのだ。

 サンタさんが子どもたちの頭の中だったりお手紙だったりを覗いて、わたしだけのプレゼントをくれるのだ。まだ、そんなクリスマスの物語を信じていた頃。それはわたしが中学生になる頃までくらいだろうか。一般的に言えば、真実を知るのがかなり遅い部類だろう。しかも、知ったタイミングは最悪だった。母に、「そろそろサンタさんが居ないことを弟に言おうと思う。だけど、貴方は一体いつ気づいたの」と言われた時だった。聞かれてはじめてその真実を知った。

 いや、気づいていなかったわけではない。薄々と理解はしていたはず。
 周りの友達と一緒に、DSをサンタさんに頼んで、厳しい我が家だけゲーム機なんて貰えなかったあの日。コスメを強請ったら、「それはサンタさんは許さないんじゃないかな」と母親がませた子どもを窘めるように言ったとき。違和感を感じることはたくさんあった。ただ、空想の世界より遥かにつまらないように見えたその「現実」を認めたくなかった。魔女になれると信じていた子ども心、それを捨ててないぞという証だとでもいうかのように、夢の代表として、空想世界の象徴として、サンタさんを「信」じていたのだ。信じる者は救われるというより、信じているから信じている。信じるわたしに奇跡が舞い降りてくることは、もはや当然のことのように受け入れていた。

 姉の名前はラベンダーと言う。らべお姉ちゃん、と呼んでいた。純日本人の家族にその名前は、なんていうのは愚問だ。ふさふさの灰色毛の彼女を姉として見ている人間がその違和感を指摘するわけが無い。らべお姉ちゃんは、母親が結婚するもっと前に親友からプレゼントされたものだ。出自を聞くと、うさきかどうかなんてものはさておき「姉」ではないだろうと今では思うことができるが、わたしにとってあの頃は姉でしかなかったのだから仕方ない。生まれた時からそう言い聞かされ、お姉さんと遊ぶことが当たり前で、わたしは次女だと言われて育て上げられたのだから。わたしはらべお姉ちゃんが家族であることを信じている。

 夢見がちであっても阿呆ではないから、人間とぬいぐるみの違いくらいは判るし、ぬいぐるみが「生」きていないことくらい知っていた。でも、その常識や知識と、わたしには姉がいるという、ファンタジーでありながら絶妙に日常に接地して根拠があるような錯覚を覚える生活とは結びつけたくなかったし、だからきっとあえてそうしなかった。サンタさんを信じていたあのころと同じように、わたしは姉を信じていた。なによりそれが自然だから。

 わたしはよく「ぬいぐるみ」と旅をしている。ぬい撮りだとかぬい旅という言葉が出てくるずっと前から、それが当たり前だった。親がそうしているのを見ているからだろうが、彼女たちが「家族」であることになんの疑問も抱いていなかった。だから、「素敵なぬい撮りだね」なんていう言葉をかけられたとき、いきなり水をかけられたのかと思うほど驚いた。なんて残酷なことをいきなり言うのだろうと。そして、わたしは現実に足をつけていなかったと言葉にされたのが、嫌に気持ち悪かった。

 わたしの家に「ぬいぐるみ」はいる。でも、わたしは一人と数匹で住んでいる。「ぬいぐるみ」と「家族」が、他者から見たら同じぬいぐるみのくせに、わたしの中では明確に違うのだ。

 「数匹」はグレーさんという作家さんによって生み出された北海の魔獣 あざらしさん、そしてこざらしさんのことだ。この子達は一人で向かった受験会場にも、初めての「一人暮らし」にもついてきた、れっきとした家族である。

本を読む時も一緒


一緒に受験勉強も学歴厨ごっこもしてくれる
記念日にはお花をプレゼントするよ
お散歩にもついてくるもん


 この子達が「ぬいぐるみ」と言われるなんて辛いのだ。大人は、あざらしさんを家族にすることが許されないのだろうか。いや、家族にしていいはず。だからわたしはこの子達を写真に収めては「家族写真」と言い張っていく。これがこの子達を信じることであり、ファンタジーを信じること。



 グレーさんが亡くなってからもう三年も経ってしまったらしい。でも、今年も個展が開かれる。あざらしさんたちが、誰かの家族になれずに「ぬいぐるみ」として過去のものになることが辛くてわざわざこんな主張を書いてみたが、既にたくさんの人に愛されていたみたいだ。流石、あざらしさん。グレーさん、貴方の産んだ子達はこれからもずっとわたしの家族だからね。それに、きっとほかのだれかの希望でもあり続けるから。今日もちいさいでんきはけさないよ、おやすみなさい。

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千崎 叶野
本になって、私の血となり肉となります