絶対かわいい主義
「かわいい」は呪いだ。
中学二年生の時、地元のお祭りでトルコアイスを買った。お兄さんは片言な日本語で
「カワイコチャンニハオオモリダヨ~」
そう言って、ありえないほどのトルコアイスを盛り付けてきた。
外国人基準で見たら、日本人の女の子はきっとみんな可愛く見えるんだろうな。
そう思いながら口に入れていったアイスは、結局半分も食べられずに、地面にドロドロと垂れていった
成長期に入ると、徐々に女の子らしく、可愛らしくなっていく同級生とは裏腹に、私はどんどん醜くなっていった。
顔も体も少し浮腫気味、髪はくせっ毛、肌はガサガサ、重たい一重瞼に爪で跡をつけようと2時間以上、鏡を見つめて格闘していた時もあった。
「私は学年で下から○番目の顔だな」
と毎日考えていた。
学年で一番可愛い女の子に「ブス」だと言われた。
声が大きい男の子にもたくさん「ブス」と言われた。
高校に上がってから、やっとブスと言われる機会が無くなった。
思われていたにしても直接言ってくるような人は私の母校にはいなかった。
それどころか、沢山褒めてくれる人がそこには存在していた。
それでも私は人に「ブス」と貶された瞬間の、時が止まったような、上手く息を吸う事ができない、喉の奥がヒヤッと冷たくなるあの感覚を忘れることが出来ない。
そうして、面白くもないくせに傷ついてないふりをしてぶるぶると震えている口の端を無理やり引き上げるのだ。
私はあの時、「かわいい」から逃げた。
どうして私はみんなみたいに可愛くないんだろう
みんなみたいに髪がサラサラになりたかった
みんなみたいに二重まぶたが良かった
なんでみんなは二の腕もほっぺもすべすべなんだろう
どうして私は可愛く生まれなかったの?
可愛い子に挟まれた卒業アルバムを一生開かないと決めたあの日。
可愛い子になれないのなら可愛い子を眺めるだけで私は幸せだ。
可愛いになれなかったくせに可愛いものが、かわいい女の子が本当に大好きなのが憎かった。
そして、たくさんのアイドルたち、大森靖子さんを見ていくうちに「かわいい」から逃げたあの時、着れなかった、出来なかったことをしてみたいと考えるようになった。
高校に入って、すぐにアイテープで癖付けをするようになった。そのおかげで1年ほどで二重の癖がついた。毎日ヘアアイロンもしたし、縮毛矯正もした。赤ら顔を隠すために下地を塗りたくった。
大好きな女の子たちは私のことを「可愛い」と言ってくれた。
少し触れただけで崩れてしまうようなものでも、そんなたった一言でも、私を勘違いさせるのには十分な要素だった。
思い切り自分を騙して、たくさんの可愛いを受け止めた。
フリフリのワンピース、メイド服、体育祭の緑リボンのツインテール、文化祭のゾンビ病みメイク....
似合ってなかったかもしれない、それでもその時私は確かに「かわいい」から逃げなかった。
今でも私は「かわいい」という言葉にとらわれている。
きっと女の子に生まれたら必ずしも付きまとう言葉であろう。
かわいいと向き合うのは大変だ。
女の子に生まれるのなら絶対可愛く生まれるという保証がついていればいいのに。そう思う、今日この頃である。
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