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日常での気付き

私は中高生のころ、独自の思想が強く、自分の世界をはっきりと形にすることが出来ていた。また、その世界を見失わないよう努力も欠かすことは無かった。

新たな人間とコミュニケーションをとることは心を乱し、要らない知恵を与えられてしまうから、極力人を選びコミュニケーションをとる。雑念をガードしつつ、脳内の世界を守るためだ。本を読み散歩をすることで、本で得た言葉から浮かんだ情景を整理し夢や妄想へ落とし込む。散歩をする時はいつも同じプレイリスト、同じ場所、同じ空気、同じ天気、同じ時間、これを何度も繰り返す。精神が平行線で乱れることがなく、安全に思考に耽けることが出来るのだ。

休日は画廊や映画館へ赴く。脳内で再現するには材料が必要なため、リアルだが非日常であり、実際に目で見て感じられるのに存在しない、そこにあるのに触れられないものを収集しに行くのだ。気に入った場面や空気、情景を記憶し脳内で完璧に再現できるまで何度も何度も通い続ける。

そのお陰か、目を瞑ると沢山の映像が一気に再生され、戻って来れなくなってしまうのでは無いかという不安や焦燥感と、母の胸の中にいる様なあたたかい安心感、全ての概念がとけてきえるような多幸感があり、私はここまで来れたのかと精神の自立に歓喜していた。だが、歳をとるにつれ、人間関係の大切さや、時間の有効な活用方法を狭いコミニティーに絞っても尚刷り込まれ、持つべきかどうかも分からない悩みを幾つも抱えるようになった。世間一般的に見て安牌かどうかが決定打になり、自分のために頭を使い選択し行動することがめっきり減ってしまった。

私の最終目標は"まともな大人"なのだ。まともな大人になるためには中庸を保つことが最も大切なのだろう。自分の世界を無くしてしまう事も、集団生活から外れてしまうことも精神を乱すのだ。今は人から与えられる情報が多く、収拾がついていないのだろう。今はもう、美味しいものを食べ、暖かい布団で眠ることだけが私の幸せでは無いのだ。2023年は去年果たすことの出来なかった両立を目標に、より良い歩みを目指していこうと思う。

追伸
写真の奥の強い光はパチ屋の電飾看板の光です。

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