「もっと」が求められる社会と「今足りているか」が最大基準の社会
ここコスタリカでも東洋水産のマルチャンはよく食べられています。
便利なので私もたまにカップタイプのマルチャンを買うのですが、さていざ食べようと封を開く度についため息が出てしまいます。カップの蓋を開こうとしてきれいに剥がれたためしがない。カップ部分との接着剤の問題なのでしょう。蓋の紙部分がカップの側に残り、お湯を注ぐと汁や湯気でふやけてスープを飲むときに口に入ってくるので困りものです。
同様に紙パックのジュースを飲むときもため息が出ます。パック裏面に張り付いているストローを袋から出すには袋を一度本体から剥がさないといけません。なぜならストローはU字型に収納されており、尖った方で破いたとしてももう片方の先端がつっかかり、逆にU字の折り返し地点では袋は破けないからです。袋は本体にしっかり接着されているので少しだけ破いてストローを取り出すことも難しい。一度軽くX(ツイッター)で「ストローの出し方の正解がわからない」と呟いたところ、「僕は本体から袋を剥がしてから取り出すよ」と真面目なリプライをもらってしまいました。
どちらも取るに足らない些細なことで生活に影響なんてしません。
カップ麺は最近でこそ値上がりして150円くらいにはなったけれど、所詮は「インスタント食品」なのだから中身に問題がなければいいのです。
ストローだって、両手を使えば取り出すことはできます。
ただ私はどうしてもどうしても気になってしまうのです。
商品を扱う業者の誰一人として、消費者の誰一人として「もっと便利にできないか?」と考えないのかな、と。
特にストローに関しては最近は自然環境への意識の高まりのせいか紙ストローが使われています。(これまた空気が混ざって飲みにくいったらありゃしない)。日本でもコンビニやスーパーのビニール袋が有料化したり、飲食店で紙ストローが使われたりしているのでさんざん話題になりましたが、プラスチック製品を減らす動きは理解できるとして、それよりも「ポイ捨て」を減らすことが目下の課題ではないでしょうか。確かに紙ストローならその辺に捨ててもいずれは土に還るけれど、プラスチック製品が世に出回り続け、ちゃんと捨てる人がいなくならない限り論点のズレた解決方法のように思えます。
特に、紙パック飲料のストローの袋は薄く透明で、本体から外したら簡単に風で飛ばされてしまいます。紙パック飲料を飲む場面は「落ち着いて室内で飲む」というよりは「出先で買ってその場で飲む」場合が圧倒的に多いです。つまりストローは紙製で土に還るけれど、それを包んでいる袋は相変わらずプラスチック製でしかも扱い辛いのが現状です。町中に市が設置したゴミ箱もありますが、底は目の粗い網状なので小さいゴミは地面に落ちてしまっています。せっかく環境に配慮して紙ストローを取り入れたはずなのに、根本的には何も解決されていないように見えるのです。
私は日本のストローを思い浮かべながら当地の紙パック飲料に不満を感じています。そこで日本のストローを少しだけ調べてみることにしました。
検索してパッと目についたのでここでは「日本ストロー」社の商品を取り上げますが別段思い入れがあるという理由からではありません。
まず、日本の紙パック飲料に付属しているストローはU字型でありません。径の異なる二本のストローからなる「伸縮タイプ」です。「ロック機構」が施されており、二本のストローを伸ばし切ったところで固定できるようになっています。私が子供の頃はこのロック機構がそれほど発達していなかったのか、飲んでいる最中にストローが沈んで行ってしまった経験があるが、最近はそんなことは滅多に起こりません。
次に「エチケット加工」ストローで液体を吸い上げる際に生じるズズズという音を防ぐためにストローの横に溝が彫られているそうです。正直、ストローで飲み物を飲む場面はそんなにエレガントな状況ではないので音はさほど気にしたことはないけれど「吸引力の弱い人にも飲みやすい仕様」と説明されており、なるほどこれは画期的な機能だと思いました。パック内を真空状態にしながら飲むのが難しい人もいるでしょう。
そして「カール加工」。ストローの飲み口に丸みをもたせ、唇へのあたりをやさしくしています。おしまいに「イージープッシュ加工」ストローを包んでいる袋(包装フィルムというらしい)からストローを押し出して取り出しやすいように加工されているとのことです。
どうしても現地の人の意見を聞いてみたく、先日知り合ったコスタリカ人と話が盛り上がったので、試しにこの話題を投げかけてみることにしました。コスタリカやコスタリカ人を否定したいわけではないので、まず「日本の新商品が発売される頻度は頻繁過ぎる。毎季節ごとに新しいパッケージ、新しいフレーバーで発売するが期間を過ぎたら棚から引き上げるのでフードロスにも繋がる」という話をしました。一方コスタリカは十何年も同じ商品が、同じ扱いにくいパッケージのまま売られている。これに消費者は不満を感じたり飽きたりしないのか、と話を持って行くつもりだったのですが、「日本は四季があるからね!コスタリカでもクリスマス前には期間限定の商品が出たりするよ。例えばね…」と、あるチョコレートの説明が始まってしまいました。一通りチョコレートの説明を聞き、「でも企業はパッケージを改良しようとは思わないのかな」と切り込んでみます。相手は母国大好き、生まれ育ったこの町から出ることも望んでいないタイプのコスタリカ人だったため、まさか私が非難めいた話をすると思ってもいなかったのでしょう。彼の考えとしては「そこまでの技術がない」ことが理由だそう。
コスタリカは政策の一つとして、国内に工場をあまり建てないようにしていると聞いたことがあります。自然を守り、エコツーリズムとしての国のイメージを保つためだそうです。しかしここラテンアメリカはメキシコ以南、ブラジル以外はスペイン語圏なので工業製品の多くがどこかの国で作られ、輸出・輸入されています。ストローをわざわざコスタリカで作っているとは思えません。一度改良して商品化してしまえば、かなり広い市場に売り込めるのではないかと、私は思うのですが現実はそうではないらしいです。
最近思うのは、こういった「商品の変化のなさ」は工業製品の技術、発展度合いの問題ではなく、人々がそこまで利便性を求めていないからなのでは、ということです。家のどこかが壊れたらすぐに直す。しかし「次にまた壊れないように」との対策をしていることはあまり見ません。カップラーメンの蓋にしても、パックジュースのストローにしても、「使いづらいなぁ」で終わりなのでしょう。消費者からクレームがなければ改善の必要性もありません。似たり寄ったりの商品が多い(ように私には見える)中、付加価値をつけて差別化しようという案が出ないのは今も謎のままだけれど、変わらずにスーパーに並び続けているのを見るに、そこそこの売れ行きを保っているようです。
「不便に不満を感じない」ことは発展の妨げにもなり得、同時に日々気分よく過ごす秘訣でもあります。小さいことがいちいち気になる質の私はまだまだ修行が足りないのでしょう。
わざわざこんなことを記事にすべきか?少し迷いましたが今私が感じている「なぜ?」をいつか感じなくなる日がくるかもしれないし、なぜ?の方向が変わるかもしれません。その時に当時の自分がどのように考えていたかを完全に失わないように、残しておくことにしました。
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