時間の流れは戻らない(水中メガネの歌詞について)
草野マサムネさんが歌っている、「水中メガネ」という曲。作詞は松本隆さんです。
戻ってこない時間の儚さを感じて、とても好きな曲です。
イントロが、浮遊感があって、ほんとに水の中に潜っていくような気分になりますね。
曲の主人公の女の子は、終わってしまった恋(もしくは恋未満の時間)を思い出しているのかな。
「視線に飽きられる」って、なかなか思いつかない表現だなと思います。情景が浮かびますよね。
相手が、もう自分に興味ないんだろうな、っていうの、口に出さなくてもなんとなくわかるじゃないですか。
「裸で泳いでた」っていうのも、お互いに心に隠すところもなくて、のびのびできてたってことなんじゃないかなあ。だけど、長いこと一緒にいると、相手のこともわかってくるし、悪い言い方すると、新鮮味が失われていきますよね。
なんとなく居心地のよくない感じ。
「無言の会話がきしむ」って、なんかわかるな。
「視線に飽きられた」から、「あなたは無視して漫画にクスクス」なんでしょうね。
一人でいるときより、一緒にいるのに心が通ってない時の方が、何倍も寂しいですよね。
だから、きっと「孤独に泳ぎ出しそう」なんだろうね。泳いだ先は、仲が良かった頃の思い出なのかな。
ところで、この曲ね、「わたしは男の子」というフレーズと、「見知らぬ女の子」というフレーズが出てくるんですよね。
対比になっているんだというのはわかるんだけど、「わたしは男の子」って、どういうことなんだろう。
子どもの頃って、あんまり性別とか気にしないで仲良く遊んだりするじゃないですか。
だから、幼い頃から同性の友だちみたいに仲良しで、だけど付き合ってみたら、なんか違うなってなって、ってことなのかしら。
「水中メガネを外せば 見知らぬ女の子」っていうのも、なんだか切ないですよね。
懐かしい記憶から、現実の世界に戻ってきたら、鏡のなかには、見知らぬ女の子。
大人になってしまった、というか、男の子として裸で泳いでいた季節は、もう終わってしまって戻らないんだなあ、という感じがして。
恋愛の歌のようにもとれるけど、ちょっと強引な見方をすれば、子どもでいられた自分自身とのお別れの歌のようにも解釈できるな、とも思います。
今の時期より、夏の方がしっくり来る曲かな。
マサムネさんバージョンも好きですが、本家の方も好きですね。
では、今日はここまで。また明日。