【ユンゲ・フライハイト紙】テューリンゲン: 精神病院の壁の亀裂
2020年2月7日
トマス・ケメリヒがテューリンゲンの州政府首相としての執政期間を全うしきることは、期待されてはいなかった。三つの政党のうちで最も強力な政党の影響力を排除しながら、選挙民の望んでいる市民的多数を実現しようなどというエッグダンス(薄氷を踏む行動)は、どうあれ結局のところ、長くはもたなかったのだ——驚くべきことに選出されなかった側の、これまでの不労所得者からの抵抗がなかったとしても。
ただこうしてケメリヒは、最も短い役職機関の州政府首相となった。彼が辞めるまで、せいぜい24時間であった。政治的なメディアによる金切り声の合唱、度を超えた愚かなナチスとの比較、誹謗や中傷、号令によって巻き起こされる極左による街頭でのテロ、自らの家族に対する物理的な強迫。ドイツのための選択肢の政治家にとっては、こんな魔女狩りはお馴染みのものであるが、この自由民主党の男にとっては新しい経験であったろう。さらには味方の隊列からの恐喝のごとき圧力——明らかにそれは勇敢なる中道にして家族の父であるこの男にとっては過剰なものであろう。略奪行為を働く左翼の突撃隊とは違って、彼は自ら築いた生活基盤を失うことになるのだから。
こうしてトマス・ケメリヒは、ドイツの議会史における哀れな悲劇的人物となった。彼は、メルケル・システムとその上に築かれた緑の党-左翼的な言論のヘゲモニーに対して、もしかしたら決定的な一撃を与える歴史的な人物にもなりえたかもしれなかった。
議会制民主主義の解約通告
その議会制民主主義の要塞となっているのは、民主的で——テューリンゲンの場合でいえば——市民の四分の一を得票している野党をナチスの再来であると語り、話をすることも協働することも許されない不可触民にして、その立場や投票や議員代表を政治的に隔離して、事実的に抹殺する一方で、過激派や暴力行為を働く人々と関係があり、疑わしい独裁の伝統をもっている共産主義的な政党を民主主義の模範として高らかに礼賛するという、グロテスクな構図である。
それは、極度に自己保身的となった独断的な上位の政治的階級による、議会制民主主義と法治国家の原理に基づいて平等に妥当するべき原則の解約通告に他ならないものである。そこでは、自分を「市民的」だと勘違いしているキリスト教民主・社会同盟と自由民主党の政治家たちが、自分の路線に忠実でないものに「ナチス」や「ファシスト」という烙印を押すというスターリン主義的な闘争の語彙を、古参の共産主義者や極左の場合と同じくらいに、あっさりと口元から滑らせるのである。
トマス・ケメリヒによる一日-州政府首相は、このような構図に対して一撃を加えたのであった。首相がはるか遠くアフリカから自らの権限によって民主的に何の異論の余地もないような選挙を無効化するために、「権力者の言葉」を発しなければならなくなったとき、政府に対して敬虔なメディアの大群がそれに対して恭しく賛意を表明したとき、政党の党首が、憲法によれば自らの良心に対してのみ責任があるはずの州議会議員に対してあれこれといじめのような命令を下し、さらに中央の指示通りの選挙への態度を要求するために申し合わせをしたとき、さらにその他大勢のメディアのお付き人たちがそこに何も違和感を見出さず、むしろかえって熱心にそれに相伴しようとしたとき、すべての冷静な観察者にとって明らかになったのは、放漫経営をしてきた権力のカルテルの無力がここに窮まっていて、さらに耳をつんざくような騒音によって、その無力が隠蔽されているということである。
次なる危機が確実にやってくる
連邦共和国政治という精神病院の壁には、さらに大きな亀裂が入ることになった。次の亀裂は、テューリンゲンのキリスト教民主同盟から現れるかもしれない。それは政党幹部から指示されたとおりの自殺を遂行し、アンゲラ・メルケル首相や党首のアンネグレート・クランプ=カレンバウアーや書記長のPaul Ziemiakが望んでいるとおりに、最終的に共産主義者のラメロウに、権力とその役得の保持を確約してしまうのであろうか。もしそうならば、望むと望むまいと、それは次の選挙にもはや参加する必要ないだろう。
Mohringにメルケル・システムに反抗するだけの勇気があるかどうか。これまでのところ、彼はほとんど勇ましくは行動しておらず、キリスト教民主同盟は、かの勇敢な自由民主党の男の背後に身を隠している。しかしながら、轟音はますます大きくなっていくだろう。キリスト教民主・社会同盟や自由民主党の仲間のうちでも、ケメリヒの選出を新たな始まりとして歓迎し、自ずと喜びや祝福を表現する人々を、すでに今回でも抑えこむことはできなかった。次の危機は確実にやってくる。私たちは緊張の時代——転換の時代——を生きているのである。
https://jungefreiheit.de/debatte/kommentar/2020/risse-in-tollhausmauer/