鬼滅の刃 と 仏教思想
2日連続で仏教について触れてるので
当然「仏教ブログかな?」と思われてしまうかもだけど
ぜんぜんピヨピヨ野狐禅 aka ちょぼちょぼピープルの一員なので、安心してください😊
素人です。
私も、急に難しい話をされるのは苦手だし
でも、あなたが今もし
たまたまこのページを開いてしまったとしても、気軽に読める内容です😘
※今回は鬼滅の刃のネタバレを含むのと、作品の解釈は私見なのでご容赦ください。以下はご自身の判断で読み進めてね!
と言うことで早速、勝手に本題に入りますけども。
今わたし、仏教についての本を読んでて
暴露すると
仏教の“b”に自ら進んで触れたのも、実は
その本を読み始めた一昨日が初めて!
(記事をこんなタイトルにしちゃってて、やで?)
でも、本の中では
「お釈迦様という次元から引き下ろして、自分の言葉で吟味しながら、人生の肥やしとして使うべき」と書いてあったし
ならば「有難や〜!」とか悠長に言ってないで、遠慮なく
身近なところから見ていこう!っとなってね。
わたしと7歳になる娘が毎週楽しみにしてる、アニメ・鬼滅の刃で(漫画は読んでないです🤲)
勝手に感じてるメンタリティーとやらを、初見の仏教思想と擦り合わせて
〜こんなマッチポイントを見つけた!〜
的なアレを、私の解像度で今から自由に昇華&記録するから
チェケラ。
目次:
① 自己のよりどころ ⊂ 精神の核(楽寂静)
②そもそもの出発点は「苦」
③おっぱいの描写 = 煩悩ではなさそう
④全集中常中は仏の状態?
⑤炭治郎の鬼への優しさ
① 自己のよりどころ ⊂ 精神の核(楽寂静)
突然だけど、自由というものを禅は
「あらゆる状況において、主体性をもって生きれば真実の道が見つかる」と
自己のよりどころとして定義してて
その更に外側に、楽寂静(まず、静かな場所で落ち着けよ)という教えがある。
物理的に「山にこもる!人と縁を切る!文明から遠ざかる!」のではなく
本質的に「雑念のない静かな心を手にいれて、よそ見はやめましょう」と説く。
当たり前だけど、これって心の動きなので実態があるわけではない。
無限列車編(人の心を破壊する殺しを繰り返してきた鬼との対決の話)の中で出てくる
精神の核も、この潜在意識のことの様に思えて
精神の核 ≒ 楽寂静の空間で、禅の自由は、核内のパズルの1ピースに感じる🧩
この鬼は文字どおり、鬼畜で卑劣なのだけど
いったい何を体現したんだろう?と考えたときに
人の感性を磨滅させる、現代の「何か」???
さて。これにも実態がない。
だからこそ、その抽象的なポイントを表現することに作品の尊さが生まれている!
精神の核の話は、私の好きなパートなので熱がこもった。
②そもそもの出発点は「苦」
本編で人を喰らう欲望の奴隷となってしまった鬼って
人間の不自由な状態をうまく指してると思うんだけど(不本意というところが尚更…)
釈迦の教えの出発点も、実は「苦」だったみたいで
「仏教の最終目標は人間を支えるのではなく、自由にすること」なのだそう。
主人公は最初に死別+
まさに鬼になってしまった妹をも背負いながら
修行と実践の過程で、癒しに変化させてる。
無限列車編の最後で
「できることが増えても、更に壁が立ちはだかって、まるでイタチごっこやないかい… いつ安らぐの…」
、、みたいな 主人公が泣き崩れるシーンがあるけど(もっと真剣な場面だから台詞は全然ちがう)
仏教では末法といって「△△年から(諸説あり)実質、今は悟を開ける時代ではないのよね…」
と、先にはっきりと氷河期をことわって
修行に終わりはなく、つまり過程が大事なんだよ〜とも伝えてる。
本物の仏は「私はもう悟りきって、とっくに仏やし」とかイキって言わんからね!
そんな態度が既に凡夫ってことだし、
炭治郎(主人公)も、十分自分に誠実で
相手が鬼でも、苦しめるものの地平まで再び下りて
癒しや助けとなる行いをサラッとしちゃう、仏なヤツなんだよね。
③おっぱいの描写 = 煩悩ではなさそう
若干、箸休めトピック笑
毎回どうしても目で追ってしまう、威勢のいい「おっぱい」の描写について。
禰津子が人を喰らうレベルの鬼に豹変して、体つきがみるみる変わった時とか
宇髄天元の三人の奥さん全員、ほかの柱、鬼たちも、女性は常におっぱい祭り。
鬼滅の作者は女性なのだそう、だけど
だからと言って、例えば妙にフェミニズム意識して
おっぱいを描くときに遠慮したりする必要は… どこにもない。よね?
アーティストは、自分が描きたいように描きますし。
勢力や胆力をおっぱいで視覚化してるのかな?それとも、理由なんてないのかも?
受け手にもよりけり。ああ、風流かな。
(おっぱい単品を強力なアイコンとして祀る人もおるから…)
と言うことで、これは「意味や答えらしいものがなくても、別に良いよね〜」という仏教の思想に着地。(無理矢理)
④全集中常中=仏の状態?
鬼滅の世界では、生身の人間である剣士が
全集中常中(not 常駐ね!)というワザを鍛錬して実践するんだけど
これはつまり、何かって言うと
高次元の集中力によって、脅威のパフォーマンスを24/7 で可能にする
言わば 「いま!ここ!」に本気な状態。
修行で仏に向かう集中力と似てる…!やないかい…!
⑤鬼への優しさ
何を隠そう、私は主人公・炭治郎の人間性がとてもloveなんだけど(これは推しって気持ち?)
どこに惹かれるかというと… ひたすら優しいところ!
アニメ見てる時だけ、ちょと恋してる笑
それはどうでも良くて、もっと気持ちを精査すると
生きとし生けるものに対して、慈悲とか執着のない愛を本人が自覚して
フィジカルだけじゃない!マインドの強さ!を純粋に尊敬している。
敵も味方も存在しないフリーマインドな仏教のポジションも、ここにつながる。
②の最後で書いたことにもなるけどね!
「神も鬼も生かされて生きていて、皆すべて平等である」という仏法の教えには、目から鱗が堕ちた。
これを書くにあたって、鬼滅と仏教の関係性は全く事前リサーチしてなくて
本当に独断と偏見だから
もし作者さんのインタビューとかあれば、これから答え合わせに向かいたい思う。
遊郭編も上弦の鬼との闘いが無事終わって
一日も早く、剣士たちの傷が癒えることを祈ってしまう…
今後の展開と伏線を楽しみながら、仏教の本も残り20ページくらいあるので
どちらも臨場感ある状態で、また新しい発見を期待〜!
今日は以上です👺
Julia
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